青城澄作品集

詩人あおきすむの書いたメルヘンや物語をまとめます。

2025-01-06 03:50:27 | 月の世の物語・別章

寝室の鏡台の前で、ひとりの女が、赤毛を黒く染めた髪を、いらだたしげにといていました。今日は化粧も髪もなかなかうまく決まらず、彼女はそれだけで、今日一日が真っ暗なものになるような気がしていました。

その女の様子を、もう一人の女が、背後からずっと見つめていました。しかし、鏡台の前の女には、その女の姿を見ることは決してできませんでした。背後の女は、長い黒髪に、ぬけるような白い肌をした美しい女で、手に魔法使いの杖を持っていました。

(あいつよ!あの女のせいだわ。あんなやつ、いなくなればいいのに!)鏡台の前の女は、どうしても思い通りにならない前髪を何度もなでながら、心の中で叫んでいました。そのとき、背後の女は、鏡台の前の女の頭上に、明るい金髪の、快活そうな若い女の顔が浮かぶのを見ました。どうやら彼女は、その金髪の女に深く嫉妬しているようでした。魔法使いの女は杖を動かし、もっと詳しいことを知ろうとしましたが、途中でばかばかしくなり、やめました。鏡台の前の女は、前髪を整えるのをあきらめ、茶色のレースのシュシュで手荒く髪を縛りました。そのとき、隣室から、目を覚ました赤ん坊の泣き声が聞こえ、女はあわてて立ち上がり、寝室を出ました。

「ベイビィ、ママはここよ。泣かないで」
彼女が隣室に姿を消すと、魔法使いの女はそっと床から足を離し、宙を飛びながらその家の中をひととおり見まわしました。一家の暮らしはそう苦しくはないようで、リビングルームには、無名ながらなかなかの技を持つ画家の版画など、飾ってありました。魔法使いの女は、郊外にあるその家を出ると、今度は少し離れたところにある都市を目指して飛びました。

魔法使いは、四角い石柱のような鉄色のビル群の間をめぐり、古い時代に建てられた寺院の前にある、年経た木々の並ぶ広場の中を飛んで、古い樹霊に挨拶をしたりなどしました。大きな商店の並ぶ繁華街には、何かとげとげしい小石の混ざっているような音楽が始終流れていました。魔法使いは都市をひとめぐりした後、ある高層ビルのてっぺんの柵の上に座り、ふうと息をついて、傾き始めた日に、青空がだんだんと染まってゆくのを眺めました。

「あ、やっと見つけた!ずいぶんと探したんですよ!」突然上から声が降ってきて、女は顔をあげました。見ると、水色の上下の服を着た十歳くらいの子供が、巻き毛の金髪を風になびかせながら、彼女を目指して降りてくるところでした。彼は黄色いマフラーを首に巻き、それには日照界の紋章が金の糸で刺繍されていました。

女の正体はもちろん、古道の魔法使いでした。彼女は飛んできた子供が隣に座ると、パチンと指をはじいて炎を起こし、自分を焼いて変身を解きました。炎はあっという間に彼女の全身を焼いたかと思うとすぐに消え、中から、燃えるような赤毛を短く刈った、白い肌の女が現れました。子供は微笑みながらそれを見て、「だいぶ準備が進んだようですね」と言いました。女はふてくされたように、「まあね」と言いました。

ことの起こりは、二か月ほど前のことでした。最近、交通事故で死んだという三人組の若い男たちが、古道の魔法使いのうわさを聞き、一体どんな女だろうと、興味を持ったのです。彼らはそろいの黒い上着を着て、髪を派手な色に染め、意気揚々と口笛を吹きながら、彼女の占い小屋を目指しました。もちろん、頭の中では、どんなことをして女をいじめてやろうかと、いろいろなことを考えていました。しかし、そんなことに事前に気づかぬ魔法使いではありませんでした。三人組の中でリーダー各の男が、彼女の占い小屋のカーテンに触れたそのとたん、足元がずぶりと沈み、彼らは悲鳴をあげる暇もなく、あっという間に深い地獄の底へと吸い込まれてしまったのです。

彼らの姿が消えて、しばらくすると、占い小屋から魔法使いが出てきて、足元の石畳を透き見、彼らがどこに落ちたのかを確かめました。三人の男たちは、灰色の泥と無数の毒ミミズの流れる川の中で、ひいひいと叫びながら溺れあえいでいました。たまたま近くを通りかかった通行人が、ひひ、と笑い、馬鹿が粋がるからだ、とつぶやくのが聞こえました。女は手を腰にあて、頭をかきながら、さて、今度は何をやらねばならないのかしら、と考えました。すると、空からひらりと一通の白い封筒が落ちてきて、彼女の白い手の中に納まりました。封筒の裏には、月の世の紋章がくっきりと押されてありました。

「あら、お役所仕事にしては、早いわね」彼女はそう言いながら封を切り、中の書類を読んで、げ、と声をあげました。そこにはこう書いてありました。

「お嬢さん、またやりましたね。毒ミミズの川には、もうすでに救助隊が向かっています。さて、今回のあなたの罪の浄化の件についてですが、以下のように決まりました。

・地球人類として地球上で七十年の生涯を送り、人類のために何かの貢献をしてくること。

つきましては、同封の書類に必要事項を記入し、人生計画書を、三日の内に、日照界のお役所に提出してください」

こうして今、古道の魔法使いは、青い目をした赤毛の女の姿となって、ビルのてっぺんから地球の夕日を静かに眺めているのでした。隣に座った子供は、魔法使いの憂鬱などどこ吹く風と、陽気な声で言いました。
「予習も進んでいるようだし、必要ないかもしれないけど、一応仕事だから、説明しておきますね」言いながら子供はポケットから一枚の薄い蛍石のカードを取り出し、それを指でパチンとはじきました。するとそれはたちまち、薄い蛍石の板に七色の碁盤の目を描いたようなキーボードに変わりました。子供がそのキーボードをカチカチと打つと、見えないガラスの画面に、光る虫のような文字が次々と並び始めました。

「ええと、今回のあなたの人生で、先ず父親の名は、アーサー・ベンサム、中堅の製薬会社で働いています。収入も悪くはなく、生活に苦しむことはありません。母親は、マーガレット・アン・ベンサム、お気の毒ですが、彼女は人間ではありません。人怪です」
「知ってるわ。今見てきたから。かわいい顔して、裏ではかなりきついことやってたわよ」
「人怪は、嘘など平気でつきますからね。あなたの人生にとって、彼女の存在が最初の壁になりそうです。あなたは人の嘘なんてすぐ見破りますものね。…ええと、それに、ベンサム夫妻には現在一歳半になる女の子がいて、名前はジョーン。あなたはその妹として生まれ、ジュディスと名付けられる予定です。そして、今の予定としては、将来の夫の名は、クリストファー・ピーターソン。現在三歳」
「ちょっと待って!あたし、結婚すんの?!」魔法使いは思わず子供を振り向き、大声をあげました。子供はあっけらかんと返しました。
「ええ、あなたの生涯独身という希望は却下されました。クリストファーは常識人ではありますが、かなり嫉妬深い性格です。レディ・ファーストの姿勢は保ちつつしっかり男性優位の思想を隠し持ちます。たぶん、いろんな形で、あなたの夢の邪魔をするでしょう。これもあなたの試練です」
「わあかったわ、少しは男で苦労して来いってことなのね」魔法使いは頭をかかえながら、深いため息をつきました。

子供はまたカチカチとキーボードを打ち、画面を切り替えました。そして相変わらず陽気に輝く瞳で、微笑みながら言いました。
「でも、日照界では、あなたの、詩人及び児童文学作家になりたいという夢を大きく歓迎しています。魔法使いの言葉は、地球世界でも強い力を持ちますから。即効性はありませんが、魂にじわじわと効いてくるんです。それが、地球人類の魂の進歩にとても良い影響を及ぼすのではないかと、ぼくたちは期待しています。何せ、地球生命としての人類の指導教育は、神よりいただいたぼくたち日照界の大切な仕事ですから」
「それはどうも、ごくろうさんね」魔法使いはつまらなそうに言うと、子供に聞こえないように、顔をそむけながら小さく舌打ちしました。子供は何にも気づかず、キーボードをポンとうちました。するとキーボードは白い小さなカードをつるりと吐き出しました。子供は魔法使いにそのカードをわたしながら、言いました。

「あなたの入胎予定日は約半年後、これはその許可証です。では、がんばってください。ぼくたちも、こちらからあなたをしっかり応援します」
「どうもありがと」カードを受け取りながら、魔法使いが言うと、子供はキーボードを元のカードに戻し、すぐに空に飛びあがりました。
「じゃ、元気で!健闘を祈ります!」手を振りながら空の向こうに去ってゆく子供に、魔法使いは面倒くさそうに小さく手を振ってこたえました。

やがて子供の姿が見えなくなると、彼女はまた深いため息をつき、すっかり日の暮れた西の空を見ました。都市の明かりにかすむ桔梗色の空に、白い月がぼんやり浮かんでいました。地球上での今宵の月は、三日月でした。そして、その少し斜め下あたりには、まるで銀の匙からこぼれた金平糖のように、白い明星が静かに光っていました。それを見た魔法使いは、「あ」と声をあげました。

「さっきのあいつ、誰かに似てると思ったら」そう言いながら彼女は右手を振り、手の中に小さなバラを出しました。そしてそれを口元に寄せながら星を見つめ、「たいせつなものは、目に見えない、か…」とつぶやきました。

 
 
 
 
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