地球上の、ある川沿いの大きな町の、ある小さな家の二階の一室の中で、ある若者が、イヤホンで音楽を聴きながら、ベッドに横たわって雑誌を読んでいました。
その様子を、部屋の隅から観察しながら、二人の少年が、それぞれのキーボードを開いて、何かぶつぶつと会話を交わしていました。もちろん、彼らの姿は、ベッドの上の若者には決して見ることはできませんでした。
二人の少年は、ともに日照界の水色の制服を着ていましたが、一人は金髪に薄い色の目の白人系の少年で、もう一人は、肌の浅黒い今は滅びた大陸系古民族の顔をしており、両頬に小さな紋章の刺青を入れていました。
「…やっぱりおかしいね」金髪の少年が言うと、刺青の少年が画面に浮かぶ情報を何度も確かめながら言いました。「うん。誕生前の彼の人生計画では、こんな風になるはずはない。彼は髪も目も茶色だけど、本当は金髪で、背ももっと高いはずだ」刺青の少年が、キーボードのある赤いキーをポンと押すと、中から小さな白い玉が飛び出しました。彼はそれを手に取ると、白い玉を、ベッドの上の彼の方にかざし、玉から白い光を放って、ベッドの上の彼の頭を照らしました。そして小声で短い呪文を繰り返していると、ベッドの上の彼の頭から何かもやもやとしたものが出てきて、光はそれを吸い取り、静かに白い玉の中に戻ってきました。刺青の少年がその玉をまたキーボードに放り込むと、画面が切り替わり、色とりどりの不思議な記号が規則正しく並んだ、二重らせんの形の細長いリボンのようなものが現れ、それは目にもとまらぬ速さで、画面の中を流れてゆきました。
少年たちは、二重らせんのリボンの流れを凝視しつつ、しばし注意深く調べていきました。やがて、金髪の少年が叫ぶように言いました。「あった!ここだ」すると画面の流れが止まり、二重らせんのある部分が、傷つけられて赤く腫れあがり、じくじくと音をたてて妙な振動を繰り返しているのが見つかりました。「遺伝情報が書きかえられている。やっぱり」「怪のしわざだね」「そうだろう、でも、ちょっと待てよ」刺青の少年は画面を切り替え、ベッドの上の若者の魂生に関するページを開きました。画面の中を流れてゆく文字の列を、彼は何度も繰り返し、素早く読んでいきました。そして言いました。「彼は怪と契約したわけじゃなさそうだ。怪に、勝手に遺伝情報を盗まれてしまったんだよ。つまりは、他のやつのと入れ替えられたんだ」それを聞くと、金髪の少年は悲しげな目をして、眉をゆがませました。
金髪の少年は自分のキーボードを打ち、彼の人生計画を出して読みながら、言いました。「誕生前の計画では、彼は、音楽家になるはずなんだ。かなりの才能も持ってる。それほど売れはしないけれど、できる限りの努力をすれば、彼なりの愛をこの世で表現できるはずなんだ。でも彼は今まで、音楽家になるための努力を一切放棄している。自分の容姿に自信がないからなんだ。本来の金髪に背の高い姿であったら、きっと彼はもっと自分に自信を持って、彼なりの創造活動を始めたろうに」それを聞いた刺青の少年は、額に拳をあて、ふう、と深い息をつきました。
「また一人、怪に人生計画を狂わされてしまった」刺青の少年が言うと、金髪の少年は言いました。「このままでは、彼は人生計画にあった創造活動を何にもできないまま、人生を終えてしまうことになるね。また、地球上に咲くはずの愛の花が消えてしまう」「書きかえられた情報がどこに行ったのか調べても、今更元に戻すことはできない。肉体が完成してしまってから、書き変えてしまったら、大変なことになる」「ああ、彼の人生そのものが、もっと大きく狂う。それどころか、死んでしまう恐れもある」「このままの姿で、何とか、少しでも音楽の方に興味を持っていくよう、導いていくしかないね。何かを始めてくれるといいんだけど」彼らは同時にキーボードを閉じ、元の蛍石のカードに変えると、それをポケットに入れ、そこから姿を消しました。
二人は、しばしの間、空を飛びながら、会話を交わしました。「ほんとうに、怪は大変なことばかりやる」刺青の少年が言うと、金髪の少年は頭を振りつつ、ため息をつき、それに何も答えることができませんでした。刺青の少年がまた言いました。「今月ぼくらがここで見つけただけで、二百十三人だ。だんだんひどくなってきている。他の使いたちも、いろんなことをたくさん見つけてるだろうね」すると金髪の少年は少し息を吹き返したように言いました。「うん、たぶんね。怪は、こんなことを、本当に、ごく簡単にやってしまうんだ。後でどんなことになるかってこと、わかってるはずなのに」「どうしようもない。彼らには月の世の地獄の管理人でさえひどくてこずるんだ。彼らは自分以外の言うことは決してきかない。それでいて、その自分には全然自信がないんだ」「愛なるものを、侮辱しすぎるからだ」彼らは、地球の日照を浴びながら、遠くに見える高い緑の山を目指しました。
山は、人間によってアスファルトの山道を切り開かれ、頂上から少し下りて離れたところに、大きな建物と広い駐車場があり、そこから見える雄大な岩と水と緑の自然の風景を眺められる、かなり有名な観光スポットとなっていました。少年たちは、その駐車場にふわりと降り立ち、しばし、ちらほらと観光客たちの姿が見える周囲の風景を見ていました。そして彼らは何とも言えない胸苦しさを感じて、祈るように天を見あげると、駐車場を離れて森の中に忍び込み、まだ観光客たちが誰も知らない、古い時代に作られた小さな細い山道を進み始めました。山道は背の高い年経た木々たちに挟まれ、濃い森の香りと深い木々の嘆きが、水のように深くたまっており、彼らはその水をかき分けるように進みました。道はやがて上りになり、行く手に、不思議に澄んだ明るい日の光が見えてきました。それは地上の日の光ではなく、かつて日照界の役人が地上に呼び込んだ、日照界の日の光でした。しばらくして、彼らは、大昔、この山を信仰していた、今は滅びた古い民族によって作られた、小さな石組みの祠の前に立ちました。日照界の光は、その小さな祠の中から漏れ出ていました。少年たちが、その祠の前で一定の儀礼をし、神に感謝の祈りをささげると、祠から漏れる光が強まり、それは金色の幻となって、そこに小さな金のピラミッドを形作りました。少年たちはそのピラミッドに向かってもう一度頭を下げながら簡略な儀式をし、呪文を歌いながら、それぞれのポケットから白い玉を出して、そのピラミッドの中に放り込みました。するとピラミッドはすぐに全てを理解し、最初はかすかな、しかしだんだんと大きくなってゆく、不思議な音楽を流し始めました。
少年たちは、しばしピラミッドの前で礼儀を整えて座りながら、全てを見ていました。ピラミッドが流す音楽は、地上の人間の耳には触れようとはせず、はるか上空に流れ、空の風の中で、悲嘆に沈んで眠っていた精霊たちを揺り動かし、勇気づけて、活動を促しました。すると精霊たちは、あああ……、と一斉に声を合わせて目覚め、きょろきょろと周りを見回したかと思うと、ピラミッドの流す金の音を小さな珠玉に変えて、それぞれの耳に飾りました。そして少し勇気を取り戻した精霊たちは、再び活動を始め、人類の魂に、愛と創造を呼び掛ける歌を歌い始めました。
少年たちは遠くに動き始めた精霊たちの姿を見ながら、互いに顔を合わせ、少し希望に明るんだまなざしを、交わしました。金髪の少年が言いました。「悲哀はよそう。僕たちらしくない」すると刺青の少年が笑って答えました。「ああ、希望は僕たちの大切なとりえだからね。人類の未来は明るい。永遠に、いつまでも、こんな愚かなことを繰り返すはずはない」「そうだ。そのためにこそ、僕たちも、みんなも、がんばってるんだから。僕たちは僕たちの、できることをやるしかない」「ああ、神を信じてね」二人は微笑みあい、自然に手をとりあって、祠の前で、神の与えてくれた喜びの中、愛を交わしました。
やがて、ピラミッドから流れてくる音楽が消えると、ピラミッドはすぐに姿を消し、元の祠の形が現れました。日照界の光は、祠の奥に、真珠のように隠れながら、また活動を始めるときのための、静かな休息に入りました。少年たちは、祠の前で深く頭を下げ、祈りをささげ、神への感謝をしたあと、そこから立ち上がり、元の駐車場の方へと歩いて戻りました。
いつしか、日は傾き、空は夜に染まろうとしていました。今宵は月はないらしく、ただ白い明星だけが、西空低く、静かに燃えていました。と、刺青の少年が、どこからか、かすかな嘆きの声を聞きつけ、周りをきょろきょろと見まわしました。金髪の少年もそれに気付き、同じように、駐車場を見回しました。すると、ふと彼らは、駐車場の隅に植えられた、一株の赤い薔薇が、悲嘆に涙を流しながら、胸の破れるような声で繰り返しているのに気付きました。
「ちがいます。ちがいます。これはちがいます。ああ、こんなことが、こんなことが、あっていいはずはありません。まちがいです。まちがいです。真実は、真実は、こんなものではありません。どうか、どうか、だれか聞いて、だれか、わたしの声を聞いて。これは嘘なのです。みんな嘘なのです……」
少年たちは顔を見合わせました。その薔薇が、人間たちが平気でついている嘘に、深く傷ついているのを、彼らは感じました。刺青の少年が、口の奥でかすかな呪文を歌いながら、薔薇に近づきました。金髪の少年も、彼の後を追い、彼と肩を並べて、嘆き続ける薔薇の顔を覗きこみました。薔薇は一瞬、彼らの気配におののき、その小さな刺をとがらせて、それ以上近寄らないで、と言いました。わたしを、嘘で殺さないで。薔薇はふるえながらくぐもった声で叫びました。
刺青の少年が、明るく薔薇に微笑みかけ、言いました。「大丈夫だよ。君の声はきっと彼らの心に届く。いつかきっと、彼らも真実に気付く」「そうともさ。神は何もかもをご存じだ。君の心の叫びも悲しみも知っている。そして君が、どんなにか優しい心で、人間に問い続けてきたのかは、僕たちの誰もが知っている」
すると薔薇は、少し気持ちが安心したかのように、震えて、かすかに、こぼれるように小さな笑いを見せました。そして、一言、「苦しい…」、と言いました。
刺青の少年と金髪の少年はまなざしを交わしあい、うなずき合って、口笛で、ともに不思議な旋律を吹きはじめました。神に教えられた単調で美しい魔法の旋律は、薔薇の心の刺を癒すため、目に見えぬ秘密の歓喜の小屋へと薔薇の魂を導こうとしました。「やすみなさい、やすみなさい、めざめたころには、あさがきているよ。うつくしい、あさがきているよ」金髪の少年が歌いました。すると薔薇は、嘆いていた心の痛みが少しずつおさまり、沈黙の鎮もる神の小さな小屋へとだんだん魂を吸われてゆきました。刺青の少年が、つづきを歌いました。「のぞみはある。つねにのぞみはある。しんじていよう。みちを、しんじていよう。わたしたちは、まことのいのち。かみのあいする、まことのいのち…」。
彼らのささやく歌の中で、薔薇はやがて、瞳をとじ、やすらぎを顔に見せて、静かに眠り始めました。少年たちは、ほっとし、しばし、眠っている赤い薔薇の顔を見つめていました。
「美しいね、この花は」刺青の少年が言いました。「ああ、まさに真実の花さ。…そう、薔薇と言えば、昔、ここで、とても美しい愛を歌った詩人がいたっけね」「うん、彼も相当怪に悩まされたけど、がんばって、創造活動を行った」「…ああ、りっぱだった。彼の言葉は今も、人類の心に響いている」「そう、たいせつなものは、目に見えない…」二人の少年は立ち上がり、空に浮かぶ明星を見上げました。
「確かに、愛そのものを、見ることはできない。僕たちが見ることができるのは、愛が、永遠の永い時を行ってゆく、その美しい創造の活動と結果だけだ」「うん……」
少年たちはしばし沈黙し、ただ星に目を吸い取られていました。やがて、どちらともなく、言いました。
「…人類の未来は、明るいよ」「ああ、どんなに苦しくても、なんとかがんばってくれる人間は、必ずいる。そしてきっと、あの詩人のように、愛の花をここに咲かせてくれる」「信じよう。とにかく、僕たちは、信じ続けよう。人類を」「うん。そうしよう」ふたりは、星を見上げながら、言いました。
刺青の少年は、目を星から離し、キーボードを出して、記憶回路の中から、かつてその詩人が描いたという拙くも愛に満ちた、人形のようにかわいい男の子の絵を出しました。金髪の少年もそれを覗きこんで、ふふ、と笑いました。「…これ、やつにそっくりだ」「ほんと、彼は生きてた時、気付きもしなかったろうね!生まれる前、あいつが彼を導いてたってこと!」「こんなことが、あるんだなあ…、ふしぎだね」「これが、愛がつくった形ってものなんだね…」
少年たちはキーボードを閉じ、もう一度星を見上げて微笑んだあと、二人並んでふわりと空に飛び上がりました。彼らはそのまま、地球上で数カ月を過ごし、多くの人間の人生の状況を細かく調べては、導きの魔法を行い、やがて、たくさんの暗号記録を持って、一時の休息を得るために、日照界に帰ってゆきました。