季節は、秋でした。欅の並木が、黄色や赤に染まり始め、葉を落とし始めていました。風の中に、かすかに、冬のため息が聴こえ、オリヴィエ・ダンジェリクは、青いコートの襟を立てて、首を隠しました。彼は、商店街の一隅に、小さな敷物をしき、自分で書いて作った詩集を、並べて、売っていました。でも、商店街を通る人々は、オリヴィエには、ほとんど振り向きもせず、みんな素知らぬ顔で、通り過ぎていきました。オリヴィエのような、名もない詩人の書く詩などに、興味を持つ人など、いなかったのです。
詩を書く人は、たくさんいましたが、みんな、言葉を、おもちゃのようにあやつって、色粘土をたくさん混ぜるように、器の中で溶かしてしまって、なんだか妙な色の、泥のようになって、むちゃくちゃな感じの、わけのわからないような詩を書く人が、多かったので、そんなのは、普通の人には、とてもわからなくて、難しいからと、人は、詩人には、あまり、興味をもたないものなのです。みんな、詩というものは、それぞれの人が、自分だけの世界の中で、好きなように書いてつくりあげたもので、だいたいは、書いた人以外にはあまりわからないものだから、何か必要に迫られる場合を除いては、関わっては面倒なものだと、思っているようでした。
ですから、オリヴィエの詩集も、一冊も売れませんでした。本屋さんにも何冊か頼んで、置いてもらったりもしたのですが、一冊も、売れませんでした。誰も、オリヴィエの詩を、読んではくれませんでした。手にとってくれさえもしませんでした。オリヴィエは、悲しい思いを感じました。でも、詩を書くのが大好きで、それはとても幸せで、きれいなことばで、いつも胸に感じている幸せや小さな悲しみや愛を語るのが、本当に好きで、どうしても、それを、だれかと分け合いたくて、こうして、ひっそりと、道の隅で、自分の詩集を売ったりしていたのです。売れなくても、誰か、欲しいとさえ、言ってくれれば、ただであげてもいいと、思っていました。実際、ただであげた人もいたのですけど、その人は、オリヴィエの詩を、読んでくれてはいないようでした。読んでいたら、きっと、自分の、気持ちをわかってくれて、うれしいことを、言ってくれると、オリヴィエは思っていたのです。
秋の風が、ひとひら、欅の葉っぱを運んできました。オリヴィエは、その赤い葉っぱを拾い、それを指でくるくると回しながら、青い表紙の自分の詩集を開きました。あまり質の良くない紙に、安っぽい活字が、虫のように並んでいました。オリヴィエは、心をこめて、たくさん、きれいな言葉を集めて、一生懸命、美しいことを書いたのです。胸の奥に棲んでいる、時計のようにことことと鳴る小さな心臓が、いつも薔薇のように咲いて薫っているのを、一生懸命、誰かに伝えたくて、書いたのでした。
「おや、本がありますね」ふと、どこからか、とてもきれいな、男の人の声が聞こえました。オリヴィエが、振り向くと、そこに、茶色の髪と髭をした、年配の男の人が立っていました。「すみません、商売柄、本を見ると、どうしても気持ちをひかれてしまうものですから。何が書いてあるのかな。少し見てもいいですか」男の人が言うので、オリヴィエは、大喜びで、詩集を一冊、男の人に差し出しました。男の人は、詩集を受け取り、しばらく、ぱらぱらとそれをめくって、読んでいました。呼んでいるうちに、ふと、男の人は、驚いたような顔をしました。「おや、これはあなたが、書いたのですか?」と、男の人は声を大きくして言いました。オリヴィエは、おずおずと、言いました。「ええ、ぼくがみな、書きました。拙いものですけど、読んでくれたら、うれしいです」
男の人は、オリヴィエの書いた詩の中の、一つを、そのきれいな声で、読みあげてくれました。
神さまが 昔
小さな金の鍵を 作ったよ
魔法の 鍵を 作ったよ
それはどこの鍵?
誰も知らない
でも 僕は知ってる
それは 神様が作った
秘密の 部屋の鍵
その部屋の中には
小さなオレンジの木があってね
オレンジは 金色に熟れてくると
ぽこぽこと割れて
光る小鳥を たくさん産むんだ
そして小鳥は 風に乗って
世界中に 飛んでいくんだよ
神さまの やさしい声を
みんなに
伝えたくて
男の人が、それはきれいな声で、歌うように読みあげてくれたものですから、ひとりふたり、通行人が立ち止まって、興味深く、オリヴィエの方に近寄ってきました。男の人は、ほお、とため息をついて、言いました。
「おお、なかなか、すてきですねえ。きれいなことばだなあ。まるで、花が薫ってくるようだ。ひさしぶりに、とてもいい本を見つけた。ひとつ、譲って下さい。いや、よかったら、何冊か預かりましょう。わたしは、ポルといいます。ついこの先にある、古本屋を営んでいるものです」
それを聞いたオリヴィエの顔が、輝きました。「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
ポル氏は、オリヴィエの詩集を一冊買いとり、何冊かを、預かってくれました。そして、店先にしばらく並べて、売ってくれると言ってくれました。オリヴィエは、うれしくてたまりませんでした。
「ほう、この青い詩集の名前は、『空の独り言』というのですか。なるほど、空の色をしていますね。空は、独り言をいうのですか?」ポル氏が、オリヴィエに問いました。すると、オリヴィエは言いました。「ええ、言います。時々、ぼくには、それが、聞こえるんです。ほんとです。ぼくは、空の独り言を書く詩人なんです。空はいつも独り言を言ってます。空の言うことなんて、誰も聞いてくれないから、独り言なんです。ぼくが聞いてるってこと、空は知ってるかな? 知らないかもしれない。でも、ぼくには、わかるんだ。だからこうして、空の独り言を書いてるんです。少しでも、みんなに、空の独り言が伝わったら、うれしいって、思うから」
オリヴィエは、自分と話をしてくれる人が現れたことがうれしくて、ついぺらぺらとしゃべってしまいました。すると、オリヴィエの周りに集まっていた人々が、何人か、あきれたようなため息をついて、離れていってしまいました。なんておかしな人がいるんでしょう、という、冷たい女の人の声が聞こえました。オリヴィエは、つい調子にのって、馬鹿なことを言ってしまったと思って、少し悲しげにうつむいて、恥ずかしそうな顔をしました。こんな、自分にしか意味がわからないようなことを、うかつに言ってしまっては、人に誤解されてしまうのです。オリヴィエはいつも、こんな人とはちがうことを言っては、人にあきれられてばかりいました。みんなが、オリヴィエのことを、ばかみたいなやつだと、思っていました。オリヴィエは泣きたくなってしまいました。せっかく、詩集を預かって売ってくれるという人が現れたと言うのに、それもだめになってしまうかもしれないと、思いました。
でも、ポル氏は、相変わらず、微笑んで、言いました。「そうですね、そう言えば、空は、時々、独り言を、言いますね。わたしにも時々、聞こえますよ。そうだなあ、わたしには、こんなふうに聞こえますよ。みんな、だいすきだよ。なんでも、してあげたいな。…君には、こんな風に聞こえるんですねえ」
ポル氏は、またひとつ、オリヴィエの詩を読みました。
風に手紙を書くよ
露草の花の色で 青い手紙を書くよ
でも君は 花なんかいらないっていう
手紙なんか いらないっていう
そんなもの 何の役にも立たないからって
でも ほんとうにいらないのなら
なぜあんなに 花屋さんがいっぱいあるのかな
なぜあんなに 郵便屋さんは走っているのかな
なぜあんなに 人は風の音に驚くのかな
必要なものは 必要だって言えばいいのに
どうして君は うそをつくの?
君には ほんとうに手紙が必要なんだ
だれかの 手紙が 必要なんだ
風に 手紙を書くよ
露草の花の色で 青い手紙を書くよ
君に 手紙を書くよ
だって君は そっぽむくふりして
ほんとうはいつも 待ってるじゃないか
いつも だれかを振り向きたくて
名前を呼ばれるのを 待ってるじゃないか
ポル氏の歌うような声は、風の中を流れて、また何人かの人々の耳をひきつけて、オリヴィエの前に集めました。
「ああ、いいことばだなあ。露草のインクで、風に手紙を、誰に書くのですか?」
「はい、ぼくの、好きな人に」
「ほう? 好きな人がいるの?」
「はい、います、たくさん」
「そんなに、たくさん、いますか」
「ええ、とっても。でも、みんなは、あまり、ぼくのことは好きじゃないみたいなんだ。ぼくは、他人と、ちょっとちがうから。でもいいんです。ぼくは、みんなが好きだから。だから、風に、手紙を書くんです」
ポル氏は、一層、微笑みました。
「いいですね、わたしも、書いてみたいな。すてきな手紙を、風に書けたら、好きな人みんなに、届けてくれるでしょうね」
「はい、もちろん、きっと、みんなのところに、届きます」
「風は、やさしいし、どこにでも、どこまでも、吹いてくれますからね」
ポル氏は、微笑んで、やさしく、言いました。
「『空の独り言』オリヴィエ・ダンジェリク著、と。うつくしい本を、ありがとう。わたしの名刺を、渡しておきましょう。住所も、電話番号も、書いてありますから。用があったら、いつでもかけてきてください。店にも、いつでも来てくださいね」
ポル氏は上着のポケットから、一枚の白い名刺を、オリヴィエに渡しました。それには、白い鳩の羽のように澄んだ白いカードに、露草の色に良く似た青い文字で、「ポル書店、ウジェーヌ・ポル」と書いてありました。カードの隅には、住所と電話番号と一緒に、小さな青いト音記号の模様が描いてありました。
オリヴィエは、宝物をいただくように、大切に、名刺をいただきました。オリヴィエは、嬉しくて、なりませんでした。自分と同じように、空の独り言を、聞くことができる人がいるなんて、それが、本当に嬉しくて、胸の中に明るい星がぱあっと灯ったような気がしました。
「そろそろ、日が沈みます。寒くなるから、家にお帰りなさい。詩集は、君の気が変わるときまで、ずっと、店に置いておきますから。ほかにも、何か書いてある詩があったら、持ってきてください。また読んでみたい」
「はい、あります。まだ、子供で、もっと下手だったころのものですけど。あります。今度、持ってきます!」
オリヴィエは、明るく笑いながら、立ち上がりました。そして、ポル氏と、強く握手を交わしました。ポル氏は優しく、歌うような声で空を見上げながら言いました。
「また、空の独り言を、教えてください。なんて言ってるのかな、今は。何かを言ってる気がしますね。君には、なんて聞こえるんですか?」
「はい、ぼくには、あいしてるって、聞こえます」
「ほう、だれを?」
「あなたを」
すると、ポル氏は、それはそれは嬉しそうに笑いました。
オリヴィエは、敷物と、余った詩集をカバンの中にしまうと、ポル氏ともう一度熱い握手を交わし、ほくほくと温まる胸を抱いて、風の中を、自分の家に向かって、帰っていきました。ああ、今日はほんとうに、幸福だったなあ。オリヴィエは、思いました。
家に帰ると、オリヴィエは、カバンをベッドの足もとに置き、パンとチーズで簡単な夕食を済ませた後、窓辺の机に座って、また詩を書き始めました。今日、起こった幸せな出会いを、何とか、詩に書いてみたかったのです。オリヴィエは、書きました。
今日 不思議な王様に出会ったよ
王様はね 小人みたいに小さくて
お月さままで 手が届くんだ
王様はね 言うんだよ
王様になるのは 簡単さ
声と言葉と心がやさしくて
小さな歌が歌えればいい
楽器など弾けたら もっといい
弾けなくても 太鼓があれば 便利だね
誰でも たたけるもの
でも 難しいのは
風のようにやさしく 柔らかな声で
見えない小鳥のように 歌うことさ
だって 王様の秘密がばれてしまったら
たいへんだもの
王様は いつも歌ってるよ
みんなのために 歌ってるよ
君には 聞こえるかなあ
あの王様の やさしい声が
オリヴィエは、嬉しくて、たくさん詩を書いてしまいました。今度の休みに、ポル氏の店に行って、この詩をまた、読んでもらおう。きっと、あのきれいな声で読んでくれたら、ぼくの詩も、命が点って、チョウチョみたいに動きだす。そして、世界の風に乗って、流れだすんだ。そんな気がするなあ。不思議な人だなあ。ポルさんて。なんて、きれいな、声の人なんだろう。
夜が更けました。オリヴィエはふと、窓から月を見上げました。風に乗って、かすかに、バイオリンのような音が聞こえてきたような気がしたのです。オリヴィエは、耳を澄ましました。ああ、なんてきれいな、音なんだろう。なんて、やさしい声なんだろう。これが、空の独り言なんだ。ぼくは知っている。空から聞こえてくるんだよ、この声は。バイオリンのような、きれいな声だ。ぼくには聞こえるんだ。ほんとうに、聞こえるんだよ。
オリヴィエは、夜が更けていくのにも関わらず、また、詩を書きました。空の独り言が、何を言っているのか、書きたくて、たまらなかったからです。
遅くなっても いいんだよ
時間に遅れても いいんだよ
今からではもう 間に合わないって
神さまの大切な鳥を 逃がしてしまったからって
背中を向けて 行ってしまわないで
まだ 扉は開いているよ
おいで おいで 帰って おいで
神さまが 待っているよ 君を
ずっと 待っているよ
さあ おいで
誰も知らない 誰でも知ってる
神さまの 秘密の部屋に
帰って おいで
神さまがみんなに 幸せをくれるよ
苺の飴みたいな
小さな小さな 赤い星を
みんなに 配ってくれるよ
オリヴィエ・ダンジェリクは、夜明け近くまで、机に向かい、遠いバイオリンの声に耳を澄ましながら、夢中で、詩を書いていました。
(おわり)
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