つらつら日暮らし

7月7日 七夕の節句

今日七月七日は七夕である。当方が生まれ育った地域は、月遅れの七夕で8月7日に行われていたが、とりあえず今日に記事を書いておきたい。それで、七夕に関する興味深い一節を見付けた。

◎七月 和名をふ月といふは、たなばたに文をかすとて、ひらくゆへにふみ月とも、文ひろげ月とも云。
    享保20年版『江府年行事』、三田村鳶魚先生編『江戸年中行事』中公文庫・47頁


「ふ月」とあるが「文月(ふづき)」のことである。そして、その由来が「七夕」にあるとしているのである。七夕で短冊に願いを込めるというのは、かなり重要なことだと思われていたのだろうか。上記に引用した同じ文献では、以下の一節も提示している。

○本朝にては孝謙天皇天平勝宝七年に乞巧奠はじまる、此日童子小女のわざに、五色の紙を色紙たんざくにたち、歌を書て若竹の笹にむすび、高くさゝげ、七夕に手向也、是をたんざく竹と云、此事、上方の国がたにてはなし、梶或桐の葉に歌書て川へ流す事有。
    同上、前掲同著・47頁


七夕の行事が日本に取り入れられたと理解出来るのは、この「乞巧奠(読み方は「きこうでん」または「きっこうでん」)」からということになっているらしい。『江府年行事』の作者は、孝謙天皇の天平勝宝7年(755)からとしている。だとすると、『続日本紀』(扱う年代が697~791年に相当するため)辺りが典拠だろうか?

・・・無い。ついでに本棚に『水鏡』があったので、これも読んだけど、無い。だとすると、『江府年行事』の作者は、どの辺を典拠にしたものか?それ自体、研究対象として面白くなってきたけど、まぁ、すぐにというわけにもいかないので、関連した一文を紹介するのみとしておく。

○乞巧奠 七月七日 所謂七夕祭なり。宮中にては其夜清涼殿の東庭に机四脚を並べおきて灯台九本をとほし、机の上にさまざまの物を供へ、箏のことを秋のしらべ、即、盤渉調のことぢを立てゝおき、夜もすがら香をたき、盥に水を入れて大うらの星をうつす。又梶の葉に歌を書きて手むけとす。
    赤堀又次郎氏講述『有職故実』(東京専門学校出版部・明治35年)38~39頁


「乞巧奠」を中心に探っていたら、こんな一節を見つけた。とりあえず、このような儀式が行われていたことは分かったが、とはいえ、先に挙げた『江府年行事』に比べても情報が少ない。よって、良く分からない、という話になりそうなのであった。ところで、この「梶の葉に歌を書きて手むけとす」あたりが、短冊に願いごとを書く、とかいう儀礼になったのだろうか?

あれ?というか、そもそも七夕で願いごとを書くというのは、何処に向けて願っているのだろうか?その辺のサイトを見てみると、元々は織り姫を相手に機織りの上達を願ったものだとしていることが多いようだ。なるほど、これだと「乞巧奠」とも関わるのかもしれない。字義としては「巧を乞う」ために、捧げ物を行うのが「乞巧奠」だから、これを日本版にアレンジして「七夕」となったとすれば、やはり自らの技術などの上達を願うのが、正しい願いだといえよう。

それこそ、幼稚園や小学校であれば、「字を書くのが巧くなりますように」とか「歌を歌うのが巧くなりますように」、或いは「縄跳びが巧くなりますように」とか、この「巧く」の部分が大事だと思うわけである。

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