つらつら日暮らし

諦忍律師が示す菩薩戒の「通受と別受」について

まずは、以下の一節をご覧いただきたい。

 問、菩薩戒に就て通受・別受と云事ありと聞り。吾等椎にして一向に其訳を知らず。願くは慈悲を垂て詳に示し玉へ。
 答、通受・別受の名は源と表無表章に出たり。三聚浄戒に於て、単に摂律儀戒ばかり〈比丘は二百五十戒、乃至優婆塞は五戒なり〉を受るを別受と号す。
 摂律儀戒と摂善法戒と饒益有情戒との三聚を残らず総通して受持するを通受と云なり。
    諦忍律師『梵網経要解或問』カナをかなにするなど見易く改める


諦忍妙竜律師(1705~1786)という人は、江戸時代の八事興正寺(現在は高野山真言宗で、名古屋市内)の5世だった人である。なお、律学を能くした人として知られる。そのため、以上のような問答に及んだといえよう。

これは、何を扱っているかというと、菩薩戒に於いては「通受」と「別受」という考えがあるが、その理由などを知らないので、教えて欲しいと問者は述べている。日本の仏教界で、この問題が顕在化したのは、鎌倉時代の南都で、貞慶や覚盛などが戒律復興を起こしたときであると思う。

その流れを受けて、覚盛には『菩薩戒通別二受鈔』など複数の著作、凝然大徳にも『律宗綱要』など複数の文献がある。もし、詳しく学びたい人は、それらの文献(多く、『大正蔵』に入っている)を読んでみると良いと思う。

さて、そこで、諦忍律師はこの「通受」と「別受」については、以下のように述べる。

通受:三聚浄戒の全てを受持する
別受:三聚浄戒で摂律儀戒のみ


また、この話については、「表無表章」に出るというが、諦忍律師が指摘しているのは慈恩大師基『大乗法苑義林章』「表無表色章」のことであろうと思われる。この文献については、当方未だ内容を詳しく参究するまでに及んでいないのだが、機会を得たいと思っている。

ところで、このような「通受」「別受」の違いが出る理由だが、結局は比丘戒(声聞戒)と菩薩戒(三聚浄戒)との関係性によって生じたといえる。諦忍律師自身の見解は、また別の記事にするとしても、伝統的には、仏教の世界の「七衆」という議論との関わりがある。これは、受けている戒に依って、その立場を異とするのだが、「別受」はその立場の違いに由来する。「通受」の場合は、ただ菩薩というだけであり、菩薩の場合は、「七衆」の中には入らず、転ずれば、「七衆」の全てが「菩薩」になることも出来る。

よって、通別二受の差異になるのであるが、現状の日本仏教の場合は、この議論はほとんど意味をなさない。しかし、知らなくて良いということもない。

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