或る意味で今回騒がれているライブドアの堀江貴文社長も天才であると思われます。
いや、もちろん、このブログのことですから単純に才能を崇拝することとは無縁です、念のため。
その理由を以下につらつら述べたいと思います。。。
キルケゴール(1813~1855,デンマークの哲学者・キリスト教思想家でニーチェと並ぶ実存主義哲学の祖)は、その論文「天才と使徒との相違について」で天才と使徒がそれぞれ規定される領域を内在性と超越性の領域だとした上で天才を以下のように規定しています(適宜略)。
(1)天才は、もたらすべき新しいものを持っているが、その新しいものは人類一般に同化されるとまた消え去っていく。
⇒天才は天才として伝えられる当初は逆説的(=天才のもたらしうる新しい物)でありうるが、天才的な人間が自己を自覚して行くにつれて、逆説的なものは次第に消え去っていく。天才はおそらく一世紀ほど時代に先行しており、したがって逆説のようであるかも知れぬが、ついには人類はそのかつて逆説であったものを同化してしまい、かくてそれはもはや逆説ではなくなる。
(2)天才は自分自身によって、すなわち、自分自身の内にあるものによって、そのあるところものである。
⇒天才は、天才が有すると見られる内容と独特の重みに応じて、純粋に美的に評価される。
(3)天才は内在的な目的論をもつに過ぎない。
⇒天才は自分自身で発展し、そして自分自身で発展しながらその自己発展を自己の活動として投影する。天才は世界および他の人々との関係において、自らを目的論的な立場に置いてはいない。天才は自分自身の中で生きており、孤独な自適の内に気ままに生きることができ、だからといって、他の人々の益になるかなど顧慮することがなく、真剣かつ熱心に自己展開する。天才は決して怠惰ではない。彼はおそらく彼自身の中で十人の実務家より以上の仕事をするだろう、並々ならぬ業績を上げるだろう。けれども彼の業績のどれ一つとして彼の外部に目的を持ってはいない。これは天才の人間性であり、同時にまた天才の傲慢である。
と、まぁ如何でしょう?堀江社長はライブドア社を世界一の会社にすると明言しておられますが、これなどはまさに内在性に突き動かされたものだとできるのではないでしょうか?確かにネットと既存メディアとの融合は、必要なのかも知れませんが、本当にそうなのかなぁと。実は、結局はライブドアの商売をやりやすくするための、既存との差異を逆説的に作り出しているだけではないでしょうか?と、こんな疑問が出てくるわけです。まぁ、あとライブドアが世界一になって、われわれになんかメリットはあるの?その内あるのかも知れませんが、現在の所良くわかりません、何せ「差異」ですから。。。
まぁ、キルケゴールはその時代的背景から「一世紀ほど時代に先行」としましたが、時間感覚が早くなっていると思われる現在ならば、せいぜいが数日から数年というくらいなのではないか……90年代以降の大量消費時代を経由した情報化社会は、それだけ早く天才を消費し切ってしまう時代かと思うのです。佐藤大輔御大の『虚栄の掟』にそんな文章がありましたけど。
ただ、堀江社長さんのことですから、自分自身を次々と展開させ走り続けてくれるものと、拙僧自身は大いに期待しているのであります!!
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