つらつら日暮らし

「大作業底の人」について

或る問答で「大修行底の人」と対で用いられた「大作業底の人」について、議論されたことは無かったのだろうか?ということが気になった。それで、以下の問答があったので考えてみた。

 問う、大修行人、還た地獄に入るや也た無しや。
 師云く、裏許に在り。
 僧曰く、大作業人、還た天堂に上るや也た無しや。
 師云く、鰕の跳べども斗を出でず。
    『建中靖国続灯録』巻6「仏印了元禅師」


これをそのまま採れば、まず、大修行人が地獄に入ることがあるだろうか?という質問に対して、「裏許に在り」という話になっている。これは、大修行人が地獄に堕ちるはずが無いという「前提」があってのことなのだが、この場合地獄の内側にいるという意味なのだろう。

何故こうなるのかはこの問答からは知られないようだが、大修行人は修行で何かを目指してしまい、その結果分別が出て来て地獄に堕ちるほどになるということになりそうだ。やや老荘思想的な感じではあるが・・・

それから、主題は後半の「大作業人」についてである。この者が、天堂(天界)に上ることがあるのかどうか?と尋ねている。こちらも先と同じように、大作業人が天堂に上るはずがないという「前提」があってのことなのだが、この場合、「鰕の跳べども斗を出でず」とあるから、結局堕ちるところから逃れられないという話になるだろう。

よって、作業人が天堂に上れるはずはないのである。

それで、この問答の禅問答的特徴に注目してみたいのだが、やはり、「大修行人」に関する説示こそが、その特徴なのだろう。大作業人については、まぁ、その通り、という話でしかない。でも、そうだとすると、この記事が余り面白くなくなるというのが、当方個人にとっての「作業底」であったりする。

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