つらつら日暮らし

『浄土布薩式』「大科第七 問遮」⑧(『浄土布薩式』参究16)

ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、以前の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。

大科第七 問遮(続き)

 七には、聖人を殺さざるや、否や。
 答えて曰く、否なり。
 私に云く、聖と云うは断惑の人名なり。謂く十信は、凡位なり。三十心は、三賢位と名く。十地は聖位なり。故に断惑の人を聖人と名く。然るに三業に於て、断惑の聖人を殺す、此の罪、仏の生身を害するの罪と同じ。
 故に、此の七罪は、是れ決定業なり。設ひ懺悔を用ふと雖も、聊かも転ずべからず。故に仏戒を授けず。今、否と答ふ故に、正戒を授くべきなり。
    『続浄土宗全書』巻15・78頁、訓読は原典に従いつつ拙僧


まず、聖人の定義を「私に云く」で示しているが、これは『梵網経』巻上でも、「三十心」「十地」を扱い、後者を「聖位」にはする。だが、「断惑」のことは出てこない。よって、この辺は、本書の特徴だろうか。その意味では、聖人を殺害する罪を、仏の生身を害する罪だとすることもまた、特徴的である。

しかし、現実に聖人まで修行を進めた者が、どれほどにいるのかは疑問だが、ここでは仏の生身を傷つける罪と同じ扱いとしつつ、「七逆罪」全体について、「決定業」であるため、懺悔しても転ずることが出来ないとしている。よって、仏戒が授けられないという。

ただ、七罪全てで「否なり」と答えれば、正戒が授けられるという。そして、「懺悔」に続くが、次回の記事で採り上げたい。

【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)

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