「全ての責は、この私にあります」
進駐軍フェラーズ准将の視点から、終戦後の日本の戦争責任問題を見る本作品。
アメリカがこの映画を作った、ということがすごい。
「ラスト・サムライ」もそうでしたが、誤解無く描かれています。
中村雅俊演じる近衛文麿のセリフ。
日本人の本音ではないでしょうか。
「欧米諸国に追いつけ追い越せで、真似てきた。なぜ日本だけが責めを負わねばならないか。」
暴走してしまったこともまた事実であるが、植民地支配を行った国は、日本だけではなかった。
そんな日本人の感情をも飲み込んで、裕仁天皇のこの言葉。
「全ての責は私に!」
自責の念を持って、マッカーサーに接する陛下の姿は心をうつ。
それを受け入れ、この国のためにと手を差し伸べるマッカーサーもまた然り。
「日本人は誰かのためなら、どんな残酷なことでもできる民族だ。」
と、その忠義の国民性を説く鹿島大将。
フェラーズに語るその姿もまた、自責の念からであろう。
自らの非を認めてはならない。強く勝利を手にするならば、攻めの姿勢であることが重要。
よく言われることである。
しかしながら、この作品から自責の念は、活路を見出すものであると感じてならない。
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