ペ・スビン応援したい!

韓国スターペ・スビンさんを応援して 11年になりました。
初めて見た韓国ドラマ・朱蒙のサヨンは、大好きです

ペ・スビンさんの劇〈王になった男〉記事:其の二

2013-03-05 22:30:32 | 日記
先程と、ほぼ 同じような
内容ですが…
お写真が少し違ったので
紹介させていただきました。


千万観客を動員した映画‘光海、王になった男’の演劇バージョン。
昨年9月封切りした映画が5ヶ月ぶりに大学路(テハンノ)
トンスン アートセンタートンスンホールの舞台に上がった。

ワンソース マルチ ユース(one-source multi-use).
映画が演劇に変身した。
厳密に言えば
先に映画後演劇順序ではない。
映画封切り前から演劇は、作られていたという話だ。
おかげで映画の残像が
濃く残った時点で
演劇が直ちに上がる事となった。
映画が先に封切りして、映画の後光を背負ったので、
演劇[光海、王になった男]はもろ刃の刃物を握った。
映画と同じ郷愁を期待する観客には惜しい作品になった。
しかし映画より以上の
メッセージを望む観客には
有難い作品になった。
映画はイ・ビョンホンを
全面で前に出して
流麗な映像美で
観客を賢く推し進めた。

演劇は何よりドラマに力がなければならなくて、キャラクターが
硬くなければならない。
隙間があるならば崩れてしまう。
登場人物の内的心理を強硬にたてて
揺れないで最後まで走って行ける
ようにした。
似たように始まったが
中盤部へ行くほど
話は他の方向に走って行った。
宮廷を血の海で作る乱暴な
ワン・グァンヘ、光海を忠実に仕えるホ・ギュン、市場通りでピエロ賭けして王黄色がかっていることになったハソン、王の身辺を保護する護衛武士、兄の問題で王と間が遠ざかった王妃など基本的なキャラクター設定は同じだ。
だが、キャラクターの考えとそれによる行動は変わった。
最も明確違うのは、ト部将だ。
映画ではハソンの正体を
知らずに疑う。
だが、演劇では初めからハソンが代理をするという事実をホ・ギュンと共有する。
このように王座に座った彼が
‘本物か、にせ物か’を置いての
緊張感が演劇にはない。
それでは何が重要だろうか?
ハソンが‘王になった男’に
変わって行く過程だ。
そしてそこに反応する
周辺人物の考えだ。
映画の王妃の兄 ユ・ジョンホに
そのヒントがあった。
“神は戦乱中にも民を見回された
善良な大軍を記憶しています。
しかし今その時の殿下ではありません。”
ユ・ジョンホの心情を演劇の中
ホ・ギュン、王妃、ト部将が
皆共有する。
過去の光海を懐かしがることだ。
ところでハソンから
過去の光海が見える。
彼らは民を先に大切にするハソンに
自然に同化される。
演劇の中 王妃はこのように話す。
“以前の 殿下の姿を見るようで
申し分なく幸せです。
” 演劇だけの面白味が生き返った。
女色を明らかにする光海君を演技するハソンは客席で18回目後宮を探す。
どうして、わざわざ‘18回目’で
設定したのかは
ハソンの非常に濃い話し方で
確認してみることだ。
ホ・ギュンがハソンに
宮廷人物を覚えるようにする場面は
クイズゲームのように
繰り広げられた。
パク・チュンソをはじめとする
4名の人物が並んで立っていて
あっという間に席を交換する。
似た顔付きに似た服を着たので
こんがらかる。

“敬意思い通りしなさい!”
光海の声を出すハソンにぴりっとした戦慄を感じるのは
映画と演劇が共に共有する
快感だ。
梅枠組みを入れる場面や便を味わう下着観の姿、チョ内官に
‘それが本当にないか’で尋ねる
ハソンの姿では映画と似た才覚がにじみ出る。
また、ハソンの純情には感動がある。
王妃のお兄様を生かした理由が
“笑う顔を見たくて”だった
との返事はロマンチストの典型だ。
一方、大使と大使の間を食い込む打楽器ライブ演奏は終始緊張感を作った。
映画は大統領選挙時点に
かみ合わさって
大きい興行をおさめた。
‘この時代真のリーダーの条件が何か’という話題を投げたためだ。 演劇が開幕した時点は
新しい大統領就任と重なった。
映画と同じように
演劇はまた再びその質問を投げかける。
'本物よりそのような'ハソンの話に耳を傾けてみよう。
“わが国内民がさらに大切だ!”
‘王になった男’の叫びだ。

[公演情報]
公演名:演劇[鉱害、王になった男]脚色/演出:ソン・ジェジュン
音楽:キム・チャンワン
舞台:パク・ソンミン
照明:ク・ユンヨン
衣装:キム・ヨンジ
音響:権道景公演技
2013年2月23日~4月21日公演
場所:トンスン アートセンタートンスンホルチュリョンジン:
ペ・スビン、
キム・ドヒョン、
パク・ホサン、
キム・テジョン、
ソン・ジョンハク、
キム・ワングン、
ファンマニク、
イム・ファヨン、
絳紅席、
キム・ジナ、
習うことは、
ビョン・ミンジ、
イ・チュング、
アン・ヨンジュ
観覧料:
R席5万ウォン、
A席3万 5千ウォン




ハソン(ペ・スビン)
王妃(イム・ファヨンの方)が
後で話を交わしているところ…
ですって!
うーん…このお顔がハソンなんだ~





劇〈王になった男〉ペ・スビンさんの記事(*^_^*)!

2013-03-05 20:32:00 | 日記
~ペ・スビンの<光海>
映画と何が違う⁈~

映画視線で
<光海>を見てはいけない理由


映画が監督の芸術ならば、演劇は俳優の芸術だ。
それでも映画を原作にする演劇や
ミュージカルが開幕したといえば
映画と同じような評価をする。
スペクタクルと
緊張感あふれる場面を
気楽に見たいならば
映画を見れば良い。
それよりは
より自由な視線で人物の心理、
そして自身の内面を見たいなら
演劇を見れば良い。
去る23日開幕した
演劇<光海、王になった男>
(以下光海)は映画のヒットを
追い風にした作品でなく
製作初期から同時に企画を始めた
作品である。
だが、観客は映画と比較して
両極端の反応を見せた。
演劇<光海>を
2回続けて観覧した。
結論は 非常に興味深かった。
映画が大衆映画の感が強かった
とすれば、演劇は
より主題意識ある演劇に近かった。

<光海>は朝鮮光海君8年
毒殺の危機にさらされた‘光海’の
身代わりをすることになった
‘ハソン’が王の大役を受けて
広がる話を描いた作品。
実際の実録で消失した
光海君の15日間の行跡に
光を当てるに当たり
彼の代理役割をした別人がいたという
斬新な設定することによって
差別化を試みる。

ことごとにハソンと衝突しながらも
ハソンを教育し光海の姿を作っていく
都承旨ホ・ギュン(パク・ホサン、キム・テジョン),
ハソンの目つきだけでも
あらゆる事を知るようになって
補助する役(ソン・ジョンハク、
キム・ワングン) 等は
朝鮮が必要とした
真の君主‘ハソン’の姿に
同化されることになる。

映画のコミカルな部分のまま
前半は非常にコミカルだ。
だが、中盤以後は
映画とは違った何かがあった。
観客がより積極的に
思考することができるように
光海の陰で不正を犯す輩と
15日間の新しい王
‘ハソン’に胸を開く輩に分かれた点。
特に吏曹判書パク・チュンシク
(ファンマニク)が‘ハソン’の輩と
対決し、強力な存在感を誇示する。
観客を集中させる人物の心理変化も
ディテールだ。
ハソンと王妃の対話、ホ・ギュンと
ハソンの対話の場面で感じられる
‘取り返しがつかない(王)の過去’、
‘変わらなく守りたかった’、
‘過去再び始めたかった’事等
この時代が本当に必要とする
指導者はどんな人なのか
と言う話題だ。
緊張のひもは最後まで続いた。
映画で見られなかった
光海の最後の胸の内が吐露され
頂点となった。
‘あなたは私の臣下ではありません’と
縁を切る指導者、
‘政治が何民より先送りして’と叫ぶ
本物よりさらに本物らしい指導者.
これに対する結論を出すのは
観客の役割だ。

<光海>は 片側に傾いた
ジャーク枠組みを
舞台全面に配置した後
照明と効果音で
舞台を無限大に拡張させた。
何より緊張感いっぱいである音
(エスニックポップ グループ
プロジェクト ラック イチュンウ)
が映画カメラアングルの
ズーム アップ機能を
正確に観客の心臓にして上手くいったのが 作品の快挙だ。
劇中ハソン事物遊ぶ二胡の演奏と
ユーモア、風刺は
劇全体のメッセージを持たせ
観客を笑いに誘った。
もちろん空中にすぐに散る笑いでない。笑った後…考えさせる笑いだ。

ダブル キャスティングされた
主人公 ペ・スビンと
キム・ドヒョンの演技 が
観るに値する。
ペ・スビンは何より
舞台を楽しんでいた点が
観客の拍手を受けている。
肩の重さを抜いたハソンの登場が
このようにうれしくなりえるか。
キム・ドヒョンは光海とハソンの間の顔を変化激しく呼び出した。
王妃とのロマンスで感知できる
可愛気まで天上俳優であった。
俳優ファンマニクの舞台掌握力は
断然一番上だ。
ミュージカル以外の演劇舞台も
タイミングが合えば出演する。
俳優キム・ジナは宮中暗闘の
重量感の中で会えた一筋の
美しい光だった。
4月21日までソウル、大学路トンスン アートセンタートンスンホルで
見ることができる。