ペ・スビン応援したい!

韓国スターペ・スビンさんを応援して 11年になりました。
初めて見た韓国ドラマ・朱蒙のサヨンは、大好きです

あ…先程のブログに付け加えデス~連投!ぺ・スビンさんの劇〈王になった男〉其の二!否…三かな⁇

2013-03-16 17:26:01 | 日記

昼前に配信された記事です。





舞台「王になった男」
ペ・スビンの熱演が与える
“映画とは一味違う感動”
2013年03月16日11時14分配信

ペ・スビンが
舞台「王になった男」で
より一層成長した演技力を
披露している。
これまで映画やテレビだけで
彼を見てきた観客なら、
舞台を見る前に
また違う彼の姿に
驚く準備をすべきかも
しれない。

舞台「王になった男」は、
同名の映画と
かなり似ているが、
一味違う。
二つの作品は
基本的な
ストーリーの流れと
登場人物の性格などは
ほぼ同じだ。
しかし、映画が
時間と場所の制約なしに
より大きなスケールで
観客を魅了したことに対し、
舞台「王になった男」は
限られたスペースの舞台に
少数の登場人物だけで
すべてを表現する。
そのため演劇では俳優たちに
任せられた任務が重大だ。
「王になった男」のように
主人公がほぼ全シーンに
登場する舞台なら
なおさらだ。

主人公の光海(クァンヘ)と
ハソンの一人二役を演じる
主人公ペ・スビンは、
カリスマ性溢れる姿で
舞台を圧倒する。
光海は、最初に登場する時から
常に不安にとらわれ
神経質な姿を見せる。
ペ・スビンはそのような
光海を表現し、
決して小さくはない会場を
圧倒する。
単純に彼の声が大きかったり、
王服を着ているためではない。
彼は舞台の上で
目が赤くなり、
声が枯れるほど
全力を尽くして
真実性が感じられる
演技を見せてくれる。

光海と共に登場する
ハソンは、
まったく違う人物だ。
彼はとても軽く見えるが、
実は思慮深い。
ペ・スビンは
コミカルながらも
温かいハソンを演じ、
一人二役とは思えないほど、
一気に変身する。
王妃を慕い、彼女のために
詩を読む姿や、
ムスリ
(雑務を担当する女性の)の
サウォルを
心から心配する姿で
人間的な王の一面を
見事に表現する。
また、自分たちの
利益だけを考える
臣下に怒鳴る時は
真の王の姿を見せる。


カット単位に切って
撮影が行われる映画とは違って
舞台「王になった男」は
呼吸が長い。
約2時間の公演の間、
舞台上の俳優たちは
ミスせず劇をリードして
いかなければならない。
光海とハソン役を演じた
ペ・スビンの場合、
舞台に登場しない時間が
あまりない。
だが、ペ・スビンは
一瞬でも劇の緊張感を
失わない。
また、ハソンと光海を
行き来しながら
全く違う人物を
表現する時も瞬時に
変わる演技で
観客を没頭させる。

「王になった男」の舞台を
満たすのは
ペ・スビンの力だけでは
ないはずだ。
ホ・ギュン、チョ内官役を
演じる俳優から王妃、
サウォル、ト部将役を演じる
人まで、
数人の俳優たちが
好演を見せている。

1000万人以上の人が
映画「王になった男」を見た。
それだけに
演劇で再誕生した
「王になった男」は
それほど新しくもなく、
惹かれるところのない
作品になる可能性もある。
だが、確かに
イ・ビョンホンの光海と
ペ・スビンの光海は違う。
ペ・スビンは彼だけの存在感で
また別の光海、
あるいはハソンを表現している。舞台「王になった男」は、
観客にまた違う感動を与える。



ぺ・スビンさんの劇〈王になった男〉感想~集めました!(o^^o)

2013-03-16 17:14:24 | 日記
今週末は、日本から観に行かれた方が多かったのでしょうか…

ぺ・スビンファンのような
日本人が目についた…との
呟きがありました。
このブログを
読んで下さっている方も
渡韓中ですね。
う~ん…羨ましい限りです。

昨夜のお写真(^ ^)




昨日見た演劇'光海 王になった男'
やはりペ・スビン演技はグッド!
キム・テジョンもまた違う演技ですね。本当に可愛かったよ~^^*
ですって!





で…お写真は
付いていませんでしたが…

観覧された感想を見つけたので
翻訳してご紹介致します。


劇〈光海 王になった男〉
-ペ・スビン、パク・ホサン、
ソン・ジョンハク
人気があった
映画やドラマを
舞台公演で再解釈して作られた
他の作品とは違って
光海の完成度には
高い点数を送りたい。
十人余りの俳優の
緻密な演技や広範囲な映画の中
限定された空間によく出来た
舞台装置が印象的だった。
そして少し退屈な話展開に
映画の中で
印象深かった場面を挿入して
劇的面白味を高めたのも
もう一つの魅力。
映画とはまた別の
エンディングがとても良かった。

ペ・スビンは硬い演技力に
光海とハソンを表現して
存在感を見せた。

ホ・ギュン役のパク・ホサンの
落ち着いた演技も良かった。

最後にソン・ジョンハク
こんなによく似合うとは
とても魅力的だった。

機会があれば ペ・スビン
キム・テジョン
ソン・ジョンハクの組み合わせで
また見たい。
なぜならば、キム・テジョンの
ホ・ギュンが見たいから。


…やはり 夫々の役者さんの
個性で 劇場の
空気が変わるようですね。
組み合わせを変えて観るって
贅沢ですが、時間があれば
是非!観たいですね。


最終のチケット売り出し日が
決まったようですね。

20日と聞いていますが
もう少し詳しくわかったら
こちらでも お知らせ致します。




昨日のぺ・スビンさんの記事です(*^◯^*)

2013-03-16 07:59:02 | 日記
インタビュー記事が
上がっていました。
まずは…お写真 です (^ ^)





お~!
かっこイイ!スビンさ~ん ♪

お次が…




なかなか~!
で…記事がこちらです。

ここまでが 昨夜
出来上がっていた部分です^^;
かなり 長いので
翻訳機で怪しい部分を色々と
言葉を選んで意訳していて…
更新出来ませんでした!
まだ、少しおかしな表現が
有りますが…どうぞ…


~演劇〈光海、王になった男〉
暴君と機知にとんだ話屋
ペ・スビンの顔”~

映画〈26年〉(2012)で独裁者を
審判しようとしていた彼が
今回は王に帰還した。
いや、弁舌爽やかなピエロで
登場し、会場が湧く。
ペ・スビンは光海であり
同時にハソンだ。
同じ容貌を持つが
それぞれ違う道を歩く
二人の男を演技する。
‘偶然とアイロニー’の
演劇〈光海、王になった男〉は
ペ・スビンの全てを
発見する舞台だ。
観客はペ・スビンと
ペ・スビンの間で
喜怒哀楽を全て味わう。
彼は
“人々が信念を持っている
価値観を強く守りながら
他に先限エネルギーが広がって
世の中が変わる”と
素朴で賢く話す。
俳優ペ・スビンは
自身の顔にこの時代の
悲しみと希望を鮮やかに
入れようと思っている。

-意外にひげがよく似合う。

作品が無い時は髭を剃らない。
髭があれば少し自由になる。
仕事をする時は
キャラクターのために剃るが、
放っておいた方が良い。
今回の演劇では
髭がシナジーを与えることが
できて伸ばしている。
史劇らしい髭が生える方なので
幸いだ。
映画〈26年〉に続き
演劇〈光海、王になった男〉を
選択した。
政治的熱望や変化に対する
風が含まれている作品だ。

-大統領を殺そうとする男
または、突然王になった男を
演技するのはどうか?

演技に正解はない。
俳優の立場では、
これが正しいと思う。
世の中では、
こういうものが
望ましくないだろうかと、
自問する。
私は政治をしないが
私の立場で、出来る範囲で
最善を尽くして話す。
政治的なイシューに
気を遣うよりは
私の心がそのように動く。
映画〈白磁の人〉(2012)も
韓国文化を守ろうとする
日本人の話だが、
国と国籍を離れて、
固有の文化や精神を
大切にする心が
感動的だと参加した。
自分が
行かなければならない道を
心が分かるようだ。

映画〈光海、王になった男〉
(2012)でしたイ・ビョンホンとの
比較は避けられないが?

その質問は、数多く聞き
決して避けられない話ですね。
しかし、同じ作品でも
俳優の演技により
感じや表現方法が変わる。
もし私が
映画〈光海、王になった男〉を
再びリメークするなら、
明確に比較されるようだ。
今回の作品は舞台で演劇で
舞台だけの独特さがある。
それで、大きな
負担はなかった。

-映画と演劇は後半部が違う。

エンディングが変わって
かえって良かった。
話そうと思う部分は
映画や演劇でも全く同じだ。
結末が変わったといって、
映画があたえる
大型のメッセージが
消えるのではない。
善良で暖かい人が王になり、
政治的な不条理や政争によって
犠牲になり変わって行く。
誰でもそのような
初心を守って行くのは
容易ではないという事を
話している。
この時代に必要な
リーダーに対して
考えることになる。
リーダーが
正しい価値観を持って
どのように行うのかに従い
次世代が変わる事になる。
もちろん人々の風は、
政治的なことだけではない。
暮らしていれば、
人間であるならば
本当に上手くいけば良いという
気がする場合がある。
そのように
人々がうまくいく
世の中ならば良いだろう。

-その間善良で優しいイメージの
演技をたくさんした。
狂暴な光海のキャラクターをどのように消化するのか気になった。

私の演技は
キャラクターの心を
どれくらい理解するのかの
問題だ。
光海の心を思い出させる。
彼の波瀾万丈な人生を見れば、
彼は本当に否応なしに
生きただろうという気がする。
そのような心が
重々積み上げられて
鬱憤が出て、人を平然と
殺すことになる。
演劇では特に説明しないが、
このような感情で
光海キャラクターを作った。
出た人が基本的に善良だと見る。
外部から傷と衝撃を受けて、
それを克服するための行為だ。
苦痛が強いほど、
行為も強くなるほかはない。
私が感じる痛みの大きさや
逆境の大きさだけに
キャラクターが出てくる。

-普通ハソンと光海は、
1人2役という。
だが、演劇を見ると
1人3役という感じが
より一層強い。
ハソンと光海、そして光海に
なっていくハソンが存在する。

そうです。
三番目の役割があります。
中間にハソンのスペクトラム。
変わって行く
ハソンのために
ソン・ジェジュン演出とも
多くの相談をした。
人が死ぬ、その時から
直接的に変わる。
不条理なものを
少しずつ知るようになりなり、
変わって行く姿を
表現しようとした。
演劇は 今日と明日が違う。
観客の呼応により
大きく変わる。
その日の空気にしたがって
変わる。
それでちょっと
開けておく部分もある。
基本的なプロットは守るが、
自然に観客と共に
遊ばなければならない。

-映画とは違いハソンと光海を
一度に演技する。

何より均衡感が重要だ。
だが、観客はすでに知っている。
私が1人ということを!(笑い)
ハソンの変わる姿を見ながら
観客も感じるのかがポイントだ。
身振りや行動、
大使のスピードにおいて
差をつけた。
そんなことで
各キャラクターが持っている
気質を見せながら、
細かく分けて入った。

-映画やドラマで主演に対する
渇きがなかったか?

そんなに 主人公に固執しない。
それで必ずある意味
さく烈させなければ
ならなかったり
興行しなければならないという
負担もない。
配役を引き受けた時、
どのようにすれば
光るのかを
最も重要だと考える。
主人公や助演でも
それは、同じである。
サポートをしようが、
アシストをしようが、
チームが勝つのが重要だ。
私がストライカーになる時は
明確に
ゴールを決めなければ
ならないない。
ゴールを入れるためには
どのようにするかを考える。

-後半部に霊廟パドルが
離れながらハソンに
挨拶する時から
観客がたくさん泣いた。

特にエンディングでは
ハソンの王妃に対する
恋慕があらわれる。
持つことができないものに
対する残念さだ。
弱々しくて!
事実持つことができるものに
何があるか?(笑い)
人生がみなそうだ。
そのような総体的な遺憾だ。

- 2010年12月、
演劇〈イサン12月12日〉で
イサンを演技した。
〈鉱害、王になった男〉で
再び舞台に立つが どう違うか?

役割があまりにも違う。
イサンというのは
その人の心の中を
一度覗いて見たいと思い
そこが 大きかった。
それしか方法がないという
運命というのに遺憾があった。
今の時代は文化的な
多様性があって、
表現の方法も多様に開いている。
だが、彼の時代は
たくさん閉じられていた。
時代より先に生まれ、
一人で芸術し 逝った。
その公演は短かったが
本当に火のようだった。
〈イサン12月12日〉が
マニア的なのに反して
〈鉱害、王になった男〉は
楽しくておもしろくて
愉快に見ることができる。
観客と呼吸する
well made演劇で
位置づけたら良いだろう。

-上手くやろうとして
力が入るのではないか?

そこで 心を維持するのが
一番重要だ。
上手くしようというより、
共に遊ぼうという気持ちで
舞台に上がる。
観客反応がちょっと
良くない時は力が抜けるが、
それでも遊ぶのは
継続しなければならないという
気持ちで出て行く。
遊んで下されば一緒に
呼吸しながら楽しく行ったり、
そんなことが演劇の味だ。

-これからも演劇にずっと挑戦するのか?

演技に対する渇望や欠乏が
極に達した時
特に演劇を選択する。
これは演技者としての治癒だ。
この演劇が終われば
エネルギーを沢山貰える。
舞台で演技しながら
体は疲れきっても
精神的なエネルギーは
ぎっしり埋まる。
何というか?
弾丸装填する感じだ。

-すでに延期して10年を越えた。

1999年にデビューした。
ますますさらに難しくなる。
表現方法に対しても
悩みが高くなっている。
事実知らなかった時の方が
上手に演技したかも知れない。
継続しながら
知識が増えた分、
色々な考えが多く
さらに難しくなってきた。
技術的には容易になったが、
精神的なものは難しくなる。
方法は知っているものの、
表現は淡泊に!
その部分を非常に悩む。
非常に難しい部分だ。
自分の人生をはらんでいれば
表現しなくても
自然に出てくるようだ。
それを演技で
分けようとすればばれる。
それで
良い暮らしをしようという
気がする。
私たちが考える
名俳優はそんな方々だ。
シワの一つ一つが素晴らしい。

-俳優は選択されるという話をよくする。

だが、私が選択したりもする。
平壌監査もしたくなければ
それだけだ。
作品は相互間の選択だ。
それで一緒に作業する人々の
気持ちや思いが
大変重要だと考える。
この人がこれを
なぜ作ろうとするだろう、
どんな面白味を与えたいのか、
そして私がここで
何をしなければいけないのか?
そのような部分を
演出者と話してみると
全部見える。

-質問しようとして、
いきなりスタジオの音楽に
かなり関心を見せた。

アコースティック カフェの
[For Your Tears]
〈時をかける少女〉(2007) OSTであった。

音楽は好きです。
感受性が鋭敏だった時期に
ニューエージ音楽を聞いた。
リュウイチ、サカモト、
ユキ、クラモト、
キャビン コン.
最近はクラシックを聴いていて
しばらく忘れていました。
スタジオに来たから
過去の気持ちを思い出して
再び聞いた。
年齢ごとに聞く音楽が違った。
中高等学校時は
ヘヴィメタルを聴き、
次はブルース、
その後ニューエージや
プログレッシブ、
ブリティッシュ ロックを
聴いて、30代は
グループ アイドルに行った。
その次にはジャンルを分けずに
聴いてクラシックにきた。
そのまま胸に旋律が入ってきて
聴く音楽があるようだ。

-そのような音楽と
ペ・スビンの演技も
似ていているか?

違う角度から見ればそうだ。
技術的な演技はやぼったい。
本当に正確な発音と
テンポの演技で人々を
しびれさせることもできる。
だが、それよりは
気持ちで近寄りたい。
私自体がそうだ。
演技に私を投影させたい。
それが私だから。
私の原形を見出せば
その次から
肉付けするのは容易にできる。

-演劇[鉱害、王になった男]は
何度演技したか?

4度した。
先週にプレビュー期間が終わったこれで、からだが解けた。
これから開始だ。
観客らと遊ぶ準備が終わった。

ペ・スビンが表わした
三個の魂
▲純粋な魂、
ハソンは純粋で
汚れがつかなかった魂だ。
純粋な面を浮上させて、
宮廷で衝撃を受けた後
純粋性を守ろうと
あがく姿に焦点を合わせた。
後ほどにはやむを得ず
変わって行く自身を感じて
離れる。
ハソンは風流を楽しみながら
生きる人だ。
ただ世の中を風刺する最中は
生きるが政争に立った時は
それを避けることはできない。
▲傷ついた魂
光海を演技する時は
徹底して彼に陥る。
彼は妾の子供に生まれて、
続く粛清と戦争を体験して
王になった。
一つの国の王だった人が
済州道(チェジュド)に行き
面倒を見る小間使いにまで
凌辱にあう。
彼の死は本当にみじめだ。
そのような苦痛を
耐え難かった光海の心を
思い出させれば、
何気なく人を殺すのも
理解行く。
▲変わって行く魂、
光海になったハソン
劇に陥っていれば
ゆっくり変わって行く。
あえて意識しなくてもそうなる。
序盤に光海とハソンの
中心をよくつかんでおけば
ハソンの変化は
劇の状況とあわせながら
成り立つ。
時には
ハソンが
権力をにぎったら良いという
考えになるが、
それは成り立たない
ファンタジーだ。
エンディングで明るく笑う
ハソンの姿を演技する時
本当に悲しい。


で…
あと一つ
記事が上がっていました。



“ホームレスのようですか?
ハハ。笑
” あごひげがいっぱいの顔で帽子をすっぽりとかぶったまま
カフェすみに座っている
ペ・スビン(37)に会った。

第一印象を話そうとすると
すぐに彼は
“ホームレス同様だ”として
“皆にそう見られて
慣れました”と話して笑った。
ペ・スビンは先月幕を開けた
演劇‘光海’で
光海・ハソン役を担って
熱演中だ。
“役割のために
ひげを伸ばしました。
扮装時間が減り
表情演技も自由で
演劇が終るまで
この姿で過ごすつもりです。”
演劇舞台は
2010年‘イサン12月12日’出演後
2年余りぶりだ。
彼は“俗っぽい話で‘
礼儀をわきまえない’と
感じるぐらい
舞台に上がっている”として
“演劇は私に内在した
エネルギーを
新しく引き出す力がある”と
話した。
演劇‘光海’は国内で
1230万観客を動員した
映画‘光海、王になった男’を
舞台で再演した作品.
大まかなあらすじは
映画と同じだ。
ペ・スビンは“映画製作前
シナリオに接したが
ストーリーに途方もない
力を感じて
当然興行が成功する
と感じた”と説明した。

シナリオを読んで
映画の主人公になるつもりは
なかったのだろうか。
さっぱりした性格ぐらい
‘クール’な返事が帰ってきた。

“映画をするには
私が足りなくないですか?
出来るか出来ないかより
大衆が望む俳優がいます。
イ・ビョンホン先輩の
影響力は本当に
すごいでしょう。(笑い)”

それなら
イ・ビョンホンの‘光海’と
ペ・スビンの‘光海’が
違う点は何だろうか。

“キャラクターと状況が
もう少し劇的に描写されます。
結末もさらに悲劇的だ。
また、演劇だと見ると
楽しいパフォーマンスと
観客らと呼吸する
現場性がより増します。
” 映画と同じように
ペ・スビンは劇中1人2役だ。
二時間の間休まないで
光海とハソンを
かわるがわる演技する。
“時間差なしで二人を
演技して見たら
精神分裂症にかかりそうです。
状況も極端なので
笑って怒って
突然泣いたりもします。
光海を演技する時は
実際に憂鬱です。
庶子出身という理由で
無視される。
誰でも息が詰まります。
反面ハソンは気楽で
愉快な人生でしょう。
二つのキャラクターが
真反対に見えるために
熱心に努力しました。

” ペ・スビンは
光海とハソンの人生に
憐憫を表わしたが、
自身の人生には
大きく満足していた。

“私は本当に幸せです。
今のようにジュースを飲むのも
幸せで、演劇を耐えられる
体力があるのにも
感謝しています。
特に良い人々に会って
良い作品をする時が
一番幸せです。
今がそのような時期でしょう。”

彼の年齢は三十七.
結婚したくはないかとの問いに

“しなければならないのに….
しなければならないですね。
します。 するでしょう”
として意志が見えない
返事をする。

イ・ビョンホンを例にあげて
“イ・ミンジョン氏
本当に美しいが
うらやましくないか”と尋ねると“釣ろうとしないで下さい”
と冗談を言う。
今の人生に満足している
ペ・スビンの夢は‘
一生俳優’だ。
“事実他のものは
することがありません(笑い).
作品ごとに
新しい挑戦をするようで
常にときめいて良いです。
体力が許す限り
一生俳優で生きるでしょう。
良い作品で真実の演技をする
良い俳優としてね。


一生俳優!一生役者!
どこまでも応援しますよ(*^◯^*)/

で…舞台のお写真です












どれも素適!\(^o^)/