前に、ら抜き言葉がおかしいと問題になりました。
しかし、言語学者の金田一春彦さんの話では、言葉は時代によって変遷するものなので、 ら抜き言葉を肯定しています。
(以下抜粋)
例えば「見られる」の場合「自発」「受け身」「尊敬」「可能」と同じ言葉で4種類の意味を表しますね。
これでは、どの意味で使っているかわかり難いので、特に「可能」の意味で言うときに「ら抜き」で言うことが多くなった。
これも時代の流れなのでしょうね・
他に書くや行くの 可能形は昔から
”書かれる” といわずに ”書ける”
”行かれる” を ”行ける” としていて、不自然ではなくなっている。
結局、あれから、数年立ちますが、もうそんなにこだわる人も少なくなって来たと思います。
でも最近、気になってしょうがないのが、 で抜き言葉です。
勝手に作りました。
”そうですか” の”で” を抜いて ”そうすか”となります。
昔から、体育会系で使われてきたのは知っています。
でも、文科系では使いませんでした。
最後に”サ”がついた事により、それが、先輩に対する、丁寧な言葉とされています。
ところが、ドラマやCMでも聞くようになりました。
マスコミ関係で使い出したのでないかと思います。
最近、社内でも、使われています。 40歳ぐらいでも使っています。
仲間うちで使う分にはかまわないのですが、どうも、丁寧語の感じで
使い出しているのが、気になります。
そのうち、お客さんに対しても、使うようになるのでしょうか。
”なんかうざい” のです。
しかし、言語学者の金田一春彦さんの話では、言葉は時代によって変遷するものなので、 ら抜き言葉を肯定しています。
(以下抜粋)
例えば「見られる」の場合「自発」「受け身」「尊敬」「可能」と同じ言葉で4種類の意味を表しますね。
これでは、どの意味で使っているかわかり難いので、特に「可能」の意味で言うときに「ら抜き」で言うことが多くなった。
これも時代の流れなのでしょうね・
他に書くや行くの 可能形は昔から
”書かれる” といわずに ”書ける”
”行かれる” を ”行ける” としていて、不自然ではなくなっている。
結局、あれから、数年立ちますが、もうそんなにこだわる人も少なくなって来たと思います。
でも最近、気になってしょうがないのが、 で抜き言葉です。
勝手に作りました。
”そうですか” の”で” を抜いて ”そうすか”となります。
昔から、体育会系で使われてきたのは知っています。
でも、文科系では使いませんでした。
最後に”サ”がついた事により、それが、先輩に対する、丁寧な言葉とされています。
ところが、ドラマやCMでも聞くようになりました。
マスコミ関係で使い出したのでないかと思います。
最近、社内でも、使われています。 40歳ぐらいでも使っています。
仲間うちで使う分にはかまわないのですが、どうも、丁寧語の感じで
使い出しているのが、気になります。
そのうち、お客さんに対しても、使うようになるのでしょうか。
”なんかうざい” のです。