自分に自信がない。
もはや日本人の国民病だ。
結局のところ、この自分に自信がないを突き詰めると、満たされないからということになるだろう。
人は『愛』と『金』の奴隷のように生きている。
ミスチルの曲でもあるが、愛されたいと心が叫んでいる。ガキじゃあるまいし、自分に言い聞かすけどまた答え探してしまう。取り繕うのは大人になって上手くなるけど、いつも愛を求めてる。人から認められたい。人から認められないと自分なんて価値がないと感じて、自分を嫌いになり、社会を恨むようになる。
金もそうだ。いくらあっても満足できず、不安になる。隣の人の年収を気にして、自分のほうが低ければ、その人よりも自分が価値がないように感じる。逆にその人よりも高ければ、見下して舐めてしまう。
僕は疲れてしまった。
だから、僕は自分に愛を与えることにした。
自分の心を大切にする。
小さなことでいいから、自分が本当に好きだと思えるものを自分に与えることにした。
すると少しずつだが、ずっと砂漠で喉が乾いているような人間だったけど、満たされてきた。
大人になると自分の心を隠すようになる。
満たされないと泣き喚くのは、大人としてみっともないから、満たされてるような下手な演技をする。
昔、ある有名な学者が言っていた。
『愛とは与えることである』
これには同意する。
でも多くの人が誤解する。
他人に与えることが愛である。
他人から受け取ることが愛である。
だから、苦しむ。
他人が存在しないといけないから。
満たされた愛とは、自分が心の中にいる自分に愛を与えることだ。
自分の心を満たす。
自分を愛せない人間に、心の底から人を愛することは難しい。
やってみると分かるが、そんなにお金がかからないことが分かる。
もし、莫大なお金が必要なら、もしかしたら、それを欲しているというより、人と比較して他人よりも優位に立ちたいという想いが裏に隠れていないか問うてみる。それは満たされていない。心が真に欲するものではない。喉が乾いて塩水を飲むようなものである。
本当に満足できる一番小さなことこそが、自分を満たし、自分を変える。
この事実に気づくのに、多くの時間がかかった。
『愛』と『金』に人一倍、正面から向き合ってきた僕の結論だった。
いつも自分に自信がなく、人と比較して、常に満足せず、いつも不安だった僕が少しずつ自分を好きなった。
心が何度もズタズタになったけど、ここまでこれて良かった。
最後にNARUTOの『ALIVE』という曲の歌詞を引用する。
たくさんの後悔を纏って味のある人になるさ。
悲しみも風に変えて強く進んでいければいい。
ミッシェルガンエレファント風に言うなら
ダニー・ゴー
ダニー・ゴー
ゴー
ダニー・ゴー
振り返らず錆びた風は続くだろう。
ざらつくダニー
掻き鳴らして行くんだろう。
である。
『愛』と『金』に迷った過去の自分へ。
愛するミッシェルガンエレファントを聴きながら。