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ギリシャふらり旅②

2024-12-23 | 旅行

12月11日、ギリシャ2日目

今日は、クレタ島への日帰り旅行である。ギリシャは日本の三分の一の面積だが島がたくさんあり、航空機で往来するのが普通である。夏場の観光シーズンはミコノス島やクレタ島、サントリーニ島など、高速艇やフェリーが頻発しており選択肢は多いが、冬場は地中海も海もあれるというし、便数は激減するため、エーゲ航空での往復を選択。クレタの中心都市、イラクリオンまではアテネから50分、エーゲ海の島々を眼下に見ながらのフライト、窓際席を3€で追加して予約。テンション上がる。8時5分のフライトなので、シンタグマ広場を5時50分にバス乗る。

空港までのバスは、10~20分おきくらいに24時間運行しており、朝なので50分くらいで空港に到着。とても便利である。国内線は、Bターミナルでオンラインチェックインしていればバーコードで入場し、保安検査を受けてターミナルに向かう。朝から結構な人がおり、ターミナルのカフェはおおいにぎわう。コーヒーとバケットにハムとか挟んだものとで6€くらいだったような。いずれにしても、まあリーズナブルな感じ。ギリシャ人はコーヒー好きで、どこに行ってもカフェスタンドでコーヒー飲んであり、2,3€くらいでこれはよい。

アテネ空港を飛び立つと、右手にマラトンあたりを目にすることができる。紀元前490年、アテネは、プラタイヤ以外のポリスが参加しない孤軍で、マラトンでアテネの前僭主ヒッピアスに先導され、ダイオレス大王が派遣した海岸に上陸したペルシャ軍を迎え撃つ。重装歩兵の機動力と統率力により、ペルシャ軍を包囲殲滅し歴史的大勝利をえたところだ。ここからアテネまでの40キロを兵士が走り抜き勝利を伝達したという故事に倣って1896年の第1回のアテネ近代オリンピックでマラソン競技がはじめられたのは有名な話である。今回はマラトンを訪れることはできなかったが、遠望できたのはよい。(古戦場は写真のもうちょっと北だと思う)

<マラトン海岸付近>

エーゲ海の島 名前は何だろう

エーゲ航空のフライトアテンダントさんに彫刻のような美女がいた。ミロのビーナスやアフロディーテのよう、実際にいるのだなあ、ああいう人。彫刻のようなおじさん、ソクラテスのような人も何度も見かけたが、ビーナスはその後ほとんどみかけない。やはり後世に残るのは特別な存在なんだろうなと現実に感じる。

フライト時間は35分でイラクリオン空港へ到着。かなり設備は古くて暗い感じの空港。ギリシャ全体に言えるが、公共インフラの更新はかなり遅れている感じ。ギリシャのリーマン後の経済危機は国家が破産するというようなことが起きた記憶があるが、その影響はまだまだ残っているのかも。

<イラクリオン空港>

イラクリオン空港は、市内までバスで15分。バス乗り場でチケットを買って、どのバスに乗ればいいんだと売り場のおばちゃんにきくと、あれだあれだと指さして教えてくれる。ギリシャ人、笑顔というものに出会うことはない。愛想が悪いのか、東洋人として見ているのかというのか、と思ったが、どこへいってもそうで、結構、丁寧に対応してくれるし、とっつきにくい感じはあるが親切な人という感じだ。表情変わらないし、ぶっきらぼうな印象を受けるが、これは国民性かな。アジア人のスマイルは、特に日本時の笑いは、彼らから見るとう気味悪いかも。

バスは市内まで1.2€。イラクリオンの中心地でおりて、クノッソス行きのバスに乗り換えるのだが、チケット売り場がない。よくわからないが自動販売機があり、どうも青ラインでクノッソスには行けるようで、1.8€でチケットを購入。クノッソス行きと表示されいるバスに乗り込み、30分くらいで終点。クノッソスまで乗ったのは私だけ、バス降りたところには土産物屋があるが全部しまっている。この時期はシーズンオフなんだ。でも南だけあって晴れているので、コートはいらないくらい。東京の11月くらいな感じだろうか。

ついに来た、クノッソス宮殿。ミノス王、ラビリンスとミノタウロス、英雄テシウス、線文字Bのシャンポリオンに発掘者のエバンス。なんかあこがれていた。興味を持ってから50年近くたってようやくこれたこれた。遺跡の料金は半額の6€。入口の手前にガイドブースがあったが、何か国語も対応しているようだが、日本語はいないようだ。

遺跡は、イラクリオンから内陸に10キロくらい入ったなだらかな丘にある。エバンスが発掘して神話にある迷宮のような宮殿、豊かな表情を持つフレスコ画、謎の線文字など、ミステリーとロマンに満ち溢れている。遺跡は、エバンスが発掘し、彼は遺跡の保存にとどまらず、一部の復元を行っている。このため、フレスコ画が残っていたような場所や王宮など、彼の想像力を働かせた部分は、壁や柱、フレスコ画が一部復元されている。当時の材料を使っていないとか、現在的に言うと適切でない方法もあるようだが、当時の様子がなんとな立体としてあるというのは無理がなくてよい。

王宮跡には、壁画が復元されており、3人のクレタは美女、2頭のイルカの泳ぐ姿、王子や牛など、平和的な牧歌的な雰囲気である。クレタ文明は、紀元前の19世紀くらいからの16世紀までの第1期があり、一度、炎上した後に再建されたらしい。そして、紀元前16世紀の再建後、最大の繁栄期を迎え、東地中海をエジプト、メソポタミア、フェニキアとかの交易拠点として栄えたようだ。クレタでは、貢納王政であり、豊かな土地からあがる貢納や交易の記録上、文字が発明されて行政文書に使用されていたという。クノッソス神殿は、城壁を持っておらず、平和的な安定した国であったようだ。

<王宮跡>                  <復元部分>

<王宮のタコの絵(復元)>

伝説では、ゼウスがフェニキアのチュロス王女エウロペを見初めて牡牛に変身して背中に乗せて連れ去ったところがクレタ島である。クレタ島は、エウロペ、それはヨーロッパの語源であるが、クレタがヨーロッパの原点ということになるだろうか。その二人から生まれたのがミノス王であり、クノッソス宮殿を立て、繁栄を極めたとされる。ミノス王は、ポセイドンに捧げる牡牛を請うが、あまりの美しさに生贄にはもったいなくなり、別の牡牛をささげたのをポセイドンは怒り、妻が牡牛に恋するようした。妻は張りぼての牡牛を作らせ、その中で妊娠する。そこで生まれたのがミノタウルス、頭は牛で体が人間の怪獣であったので、ミノス王は宮殿の奥深く入ったら出てこられない迷宮ラビリンスにミノタウロスを閉じ込めた。ミノタウロスは横暴な化け物であり、男女7人を生贄に捧げることとなっており、アテネにその順番が回った。アテネの王子テセウスは自ら乗り込んでいく。クレタの王女アリアドネはテセウスに恋し、短剣と赤い糸をわたし、テセウスは迷宮内でミノタウルスを成敗し、赤い糸を手繰ってラビリンスを脱出する。簡単に言うとこんな神話、テセウスの後日譚の悲劇もあるが、それはそれぞれ味わっていただきたい。

<クノッソス宮殿の模型>            <王座の復元>

クレタは、この神話のように紀元前14世紀、ミケーネを中心とするギリシャ本土の制圧によりクノッソス宮殿は炎上してしまう。その火災の痕跡は遺跡に残っており、また、その際、記録簿も一緒に埋没したため、大量の線文字の文書が残ったという。その後、ミケーネ時代に若干の復興はあったものの、繁栄を取り戻すことなく、地中に埋もれたということだ。この神話を手掛かりに20世紀初頭、英国人のエバンスが発掘した。線文字Bはさらに50年後にヴェントリスが解読に成功した。それは、古ギリシャ語であり、文明の担い手がギリシャ人であることが判明した。線文字Bはミケーネでも使用されたが、ギリシャでは文字は消滅し、アルファベットの発明まで数百年を暗黒時代となる。

こんなことを思い出したり、ひたっていると、いつの間にか1時間くらいが経過してしまう。王宮は、傾斜地に建てられ、4階建てであったらしい。王妃のテラスは3面が開放された明るい空間であり、さぞかし豊かな文化的な生活がくり広げられていたであろうと思う。

<王妃のテラス>

遺跡には、発掘した遺物が保管されている資料館が併設されている。フレスコ画などの一部のものはイラクリオンの博物館に展示されているが、発掘された土器や青銅器が展示されおり、昔をしのぶことができる。

さてバスで市内に戻ることに、バスの乗客はまたも一人、チケット売り場がないのでvisaデビットでタッチ乗車。2.5€、チケットを買った場合とそうでないと値段が違うのかな。まあ、400円くらいなので良しとしましょう。

市内のバス停でおりて海辺の要塞へと向かう途中、お昼ごはん。せっかくクレタに来たのでここは海鮮のグリルを食べようときれいそうなお店に入る。この店、海辺に建っており、ベネチア要塞が一望でき、ギリシャらしくテラス席に着席。ガイドブックにも載っているVenetoというお店だけど、誰もいないという不思議。最高の空間を独り占め。さて、注文は、クレタサラダとイカのグリル、ギリシャコーヒー。クレタサラダとは何者だろうかと思うと、たくさんのトマトの上に、たぶんヤギのチーズ、とクラッカーのようなパンを主体にオリーブオイルベースのドレッシング。これでもかとトマトが入っている。健康的。タコとイカと迷うが、今回はカラマリという名のイカのグリルに。余裕があったらタコのリゾットを追加だな、と思う。タコは西洋人は悪魔であるとして食べないものと思っていたが、クレタではタコは古代クノッソス土器の壺の図案にタコがたくさん使われており、昔から生活に密着した食べ物として伝わっているのだろう。イカのグリル、オリーブオイルとハーブで味付けてあり2はいあった。けっこううまいぞ。醤油もいいけど、これはいける。日本人好みの味付けだな。こういうイカやタコを好んで食べるなんて日本人と同じだと思う。ギリシャコーヒーは、細かい粉にお湯を注いだもので、サーブされたときは粉が浮いている。粉が沈むのを待って上澄みを静かに飲む。ベトナムコーヒーと同じだが甘くはない。濃厚な味である。

海辺に建つベネチア要塞は、歴史を語る建物である。食後にここまで歩いて向かう。港の入り口にそびえる要塞で、要塞の入り口には有翼金獅子、ベネチアの象徴が門の前面に掲げられている。中世の地中海を巡る攻防の舞台であることを思い起こされる。

<要塞の入り口の金獅子>          <カンディオの絵図>

要塞は、港を守るように、大砲が360度配置され、弾薬庫や兵士の待機室など、当時のままの姿が残されている。要塞から街をみると、あつこちに海に向かってアーチのついたレンガつくりの建物が海に面している。当時、造船のドックに使用されていたのだろう。当時、イラクリオンはカンディオと呼ばれ、1204年の第4回十字軍以降、ベネチアが領有し、東地中海の拠点として繁栄していたが、オスマントルコが興隆し、地中海の覇権を争い続けた。オスマントルコがキプロス、ロードスに続き、クレタに17世紀侵攻する。カンディアは、要塞としてとして整備され、1689年までの21年間、オスマントルコの包囲され続け、これに対抗し続けたそうだ。その最前線がこのベネチア要塞、ロッカ・ア・マーレともいうらしいが、堅固な守りと五稜郭のような陸上要塞で防衛されていたそうだ。港はドックや倉庫が整備され、要塞を支えてそうだ。1689年、オスマントルコの猛攻にフランスのルイ14世は軍隊を派遣するも要塞は陥落し、ベネチアが撤退する。その後、オスマントルコの支配が続き、ギリシャの独立後もオスマントルコの支配が続き、1898年クレタ蜂起を契機にギリシャ王国が攻めるものの、オスマントルコに敗れ、住民数万人が虐殺されたらしい。その後、オスマントルコを抑えるべく列強の介入でオスマントルコは戦争には型物の、クレタをギリシャ領とせざるをえなくなり、ようやくギリシャに復帰したという歴史があり、ほんの百数十年前のことであるあが、いまは平和な穏やかな島である。3500年前は、最先端の文化地域だっただろうが、この海と太陽は変わっていないのだろうな。

<ベネチア要塞>

次に、イラクリオン考古博物館を訪れる。ここも半額の5€。クレタ島内での古代資料は、アテネではなくここに保管展示されているので、クレタ文明を味わうにはここを訪れないといけない。さきほど、クノッソス遺跡で復元をみたフレスコ画の原本が展示されている。また、クノッソス神殿の模型があり、ラビリンスというにふさわしい複雑な構造を見ることができる。実際に、遺跡で見た石の配置などが立体的に理解できるのは大変すばらしい。クノッソスのシンボルはダブルアックス、両斧というのかな、儀式ではこれを奉納していたようだ。普段使いの壺には、タコや木、花などがあしらわれ、女性の豊かな表情の人物画、農耕系の穏やかな牧歌的な図柄である。ミノア文明が農耕的な平和な穏やかな文明であったことが展示品からみてとれる。これから本土で見たミケーネでは、戦闘している図案や基盤などが中心であり、同じミケーネ文明であり連続的ではあるが武力を重視した文明に変質していることがわかる。

<クノッソス国立考古博物館ー蛇を持つ女性>  <タコの陶器>

蛇使いの女性

14世紀にミケーネにクノッソスは滅ぼされた後もそれなりの繁栄が続くが、ミケーネが崩壊した紀元前10世紀以降の遺物は明らかに質が下がっており、時代の流れ、クレタの古代文明が終焉を迎えたようである。展示は、クノッソス以外のところからの出土品もある。

<ユリの王子壁画>           <イルカ壁画>

ユリの王子の壁画イルカの壁画

<三人のクノッソスの女性>

また、象形文字、線文字AやBが刻んである粘土板が展示しており、教科書で見た線文字を生で見れたのは楽しい。粘土板に刻むから刻む道具を考えると、こうした線文字というのが使いやすいのだな、と思う。線文字Bでも文字数は数百を超え、粘土板の出土の少ない線文字Aや象形文字は解読されていない。線文字では行政官の記録に使われただけであり、伝承や文化的な記録はないので、当時の生活は出土品やギリシャ神話から推定するしかないようだ。クノッソス遺跡とこの博物館でクレタ文明の姿を十分に味わうことができた。

<線文字Bの粘土板>

フライトまで時間があるので、イラクリオン市街を散歩。こじんまりした街だが、カフェやショップでそれなりに賑わっている。街の中心の片隅にエルグレコ公園があり、彼の彫像があった。エルグレコはスペインの画家と思ったが、ここクレタの出身だそうだ。ほー。その周りにあるカフェで、ジェラートだ。テラス席でピスタチオとティラミス、大きいよ。5.5€。クレタの昼下がり大満足です

<エルグレコ公園>

エルグレコ公園の像

空港にバスで戻り、18時25分発のエーゲ航空でアテネ空港へ、そしてバスでシンタグマ広場へ21時ころに到着。夕食は、シンタグマにあるレストランへ。ここは串焼き。スブラキというもので、豚や鶏の炭火焼き串を数本に、ピタ2枚、ポテト、トマトにサワークリームがついた一皿。これにサラダとジュースをつけて注文。串焼きは、イスタンブールの串焼きに似ている。豚が食べらることが違う。豚肉が香ばしく焼けており、クリームをつけて付け合わせとあわせてピタで食べる。最高だね。これをまいて紙で包むとギロ、ギリシャのソールフード、うまい。レストランであるが、25€くらいだったかな。満足です

<スブラキ>


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