余りにも有名なドイツのスポーツメーカーの両雄だが、元は同じ会社であったというのは御存じだろうか?
1920年、靴職人の父 クリストフ・ダスラーの息子 ルドルフ・ダスラー(兄)とアドルフ・ダスラー(弟)が「ダスラー兄弟商会」という靴製造会社を設立し、室内用のシューズを作りはじめ、1924年、スポーツシューズ製造工場を建て、体育館用シューズを本格的に作るようになり、1925年に6本の固定スパイク付きランニングシューズ、さらに1929年には世界初釘止めスタッド付きサッカーシューズを完成させ、次々と画期的なシューズを開発。
ダスラー兄弟は、世界的なスポーツの祭典オリンピックに目を向け、数多く選手たちとコンタクトし、シューズの品質・安定性を追求、その結果、「ダスラー兄弟商会」は飛躍的な成長を遂げる。
第二次世界大戦終結から3年後の1948年、さまざまな出来事が兄弟を襲い、度々意見が食い違うことが多くなったことを理由に、ルドルフはアドルフと分裂。
「RUDA社」を設立、翌年これを「PUMA社」と改めた。
アドルフは、「ダスラー兄弟商会」47名のスタッフとともに、ヘルツォーゲンアウラッハに「アディダス社」(名前の由来は、アドルフのニックネームであった「アディ」に、名字である「ダスラー」を繋げたアディ・ダス〔ラー〕)を設立。
現在のアディダスとプーマが誕生。
アディダスの持つ質実剛健なイメージも、プーマの持つドイツぽくない何処かやんちゃなイメージも創業者の個性かも知れませんね。
サッカープレイヤーとしては、アディダスは皇帝「ベッケンバウァー」や「ミュラー」などドイツ代表の寵愛を受ける一方、プーマは「ペレ」、「クライフ」、「マラドーナ」といったファンタジスタ達に愛されました。ある意味プレイヤーも王道を行くスーパースターはアディダスを、又どこか異端的な魅力をもつスーパースターはプーマを選んでいる様に思うのですがいかがですか?
70年代オランダ代表はアディダス社のサポートを受けていたが、空飛ぶオランダ人「ヨハン・クライフ」は、ユニホームの肩に入った3本線を拒否。自分のユニホームだけ2本線に変えさせたという今では考えられない逸話が残っている。
※ヤッパちょっと王道から外れていて変わってる。
その後、アディダスは1982年に、W杯そのものの名を冠した「コパ・ムンディアル」を、プーマは1985年にその年のW杯開催国の名を冠した「パラメヒコ」と歴史に残る名機スパイクモデルをリリースしました。
※この二つクラシックモデルの雄は、デビューから20余年経った現在でも、第一線のトッププレイヤー達に絶大なる信頼と支持を集めている。
ゲルマンの職人気質と兄弟喧嘩が、フットボールや他のスポーツマテリアルの発展に寄与していると言ったら言い過ぎかな?でも、この兄弟が様々なスポーツシーンを支えて来た功績は計り知れない。
ヘアツォーゲンアウラッハ市という小さな町(人口23,500人)から、生まれた2つの大会社。
現在も尚、世界の人々に愛され続けているブランドとして君臨している。