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劇団健康「トーキョ-あたり」パンフ

2005-08-20 | その他
 8/7から公演が始まった。劇団健康 「トーキョ-あたり」という芝居のパンフ制作に携わり、先月からかなり無茶なスケジュールで無理矢理の感がありましたが、何だかんだで公演も残り1週間。
芝居の中身は「ナンセンス」な笑い?ストーリー無し?…?
見に行けば良かったかな?元々芝居観るヒトではないので。。。
 
 問題の「初演に納品が間に合わなかった」パンフはとても2度と作れる様な代物ではありませんので、機会があれば御覧になる事をお勧めします。
※かなりセオリーを無視した作りで、本と言うか「紙で作った本みたいな玩具」と言った感じの作りです。

マンチェスターUレプリカ

2005-08-19 | ユニホーム
 
イングランド プレミアリーグの雄、マンチェスターユナイテッドのUMBRO製長袖ユニホームです 。去年、「要らないのでフリマに出す」という同じ会社の人間から譲り受けました。
以前、彼が親戚からイギリス旅行のお土産で頂いたモノで、現地にて購入したとの事。(まさかメガストアで…?)
これって半袖のはよく見かけるけど、長袖って売ってましたっけ?タグ付き未使用Oサイズ。


FRONT


BACK

やっぱ、マンUはアンブロでしょ!ナイキはらしくない!

プーマ と アディダス

2005-08-16 | FOOTBALL
 
余りにも有名なドイツのスポーツメーカーの両雄だが、元は同じ会社であったというのは御存じだろうか?
1920年、靴職人の父 クリストフ・ダスラーの息子 ルドルフ・ダスラー(兄)とアドルフ・ダスラー(弟)が「ダスラー兄弟商会」という靴製造会社を設立し、室内用のシューズを作りはじめ、1924年、スポーツシューズ製造工場を建て、体育館用シューズを本格的に作るようになり、1925年に6本の固定スパイク付きランニングシューズ、さらに1929年には世界初釘止めスタッド付きサッカーシューズを完成させ、次々と画期的なシューズを開発。
ダスラー兄弟は、世界的なスポーツの祭典オリンピックに目を向け、数多く選手たちとコンタクトし、シューズの品質・安定性を追求、その結果、「ダスラー兄弟商会」は飛躍的な成長を遂げる。
第二次世界大戦終結から3年後の1948年、さまざまな出来事が兄弟を襲い、度々意見が食い違うことが多くなったことを理由に、ルドルフはアドルフと分裂。
「RUDA社」を設立、翌年これを「PUMA社」と改めた。
アドルフは、「ダスラー兄弟商会」47名のスタッフとともに、ヘルツォーゲンアウラッハに「アディダス社」(名前の由来は、アドルフのニックネームであった「アディ」に、名字である「ダスラー」を繋げたアディ・ダス〔ラー〕)を設立。
現在のアディダスとプーマが誕生。

アディダスの持つ質実剛健なイメージも、プーマの持つドイツぽくない何処かやんちゃなイメージも創業者の個性かも知れませんね。
 
サッカープレイヤーとしては、アディダスは皇帝「ベッケンバウァー」や「ミュラー」などドイツ代表の寵愛を受ける一方、プーマは「ペレ」、「クライフ」、「マラドーナ」といったファンタジスタ達に愛されました。ある意味プレイヤーも王道を行くスーパースターはアディダスを、又どこか異端的な魅力をもつスーパースターはプーマを選んでいる様に思うのですがいかがですか?

70年代オランダ代表はアディダス社のサポートを受けていたが、空飛ぶオランダ人「ヨハン・クライフ」は、ユニホームの肩に入った3本線を拒否。自分のユニホームだけ2本線に変えさせたという今では考えられない逸話が残っている。
※ヤッパちょっと王道から外れていて変わってる。

その後、アディダスは1982年に、W杯そのものの名を冠した「コパ・ムンディアル」を、プーマは1985年にその年のW杯開催国の名を冠した「パラメヒコ」と歴史に残る名機スパイクモデルをリリースしました。
※この二つクラシックモデルの雄は、デビューから20余年経った現在でも、第一線のトッププレイヤー達に絶大なる信頼と支持を集めている。



ゲルマンの職人気質と兄弟喧嘩が、フットボールや他のスポーツマテリアルの発展に寄与していると言ったら言い過ぎかな?でも、この兄弟が様々なスポーツシーンを支えて来た功績は計り知れない。
ヘアツォーゲンアウラッハ市という小さな町(人口23,500人)から、生まれた2つの大会社。
現在も尚、世界の人々に愛され続けているブランドとして君臨している。

'98日本代表レプリカ【岡野モデル】

2005-08-15 | ユニホーム

1998年、日本が初出場したW杯フランス大会で着用していた国産メーカー"アシックス"製ユニで、炎をモチーフにしたシリーズの第二弾。
浦和からは岡野と小野が選ばれました。このユニは岡野仕様のレプリカで、"OKANO"14"日の丸ワッペン"がオプションされています。

'98年に今は無き「KAMO浦和店」にて購入 タグ付き未使用 Oサイズ 。(店のレジカウンター後ろに飾ってあった展示用をそのまま購入)


FRONT


BACK

'98年当時は見すぎて当たり前になっていましたが、今見ると新鮮なかんじがしますね。
特に現在は襟ナシのシンプルなシルエットが主流になりつつありますが、当時の豪華で凝ったデザインに改めて感心したりして。。。

点滴三日目

2005-08-14 | その他

点滴も三日目となり、とりあえず最後?

今回の点滴は、前の2回とは違う年配の看護婦さんの処置でした。ベテランのせいか処置の仕方が、かなり大胆!針のさしてある部分がシースルーのテープで丸見え!前任者はガーゼでガード!でも「針射す時が"痛い"んだよね」…前任者、ところが今回「あまり痛くなかった」

ベテランの技術によるものなのか?はたまた俺が慣れたのか?まあどっちでも良いんだけどね。

右腕を2回射したので、今回左腕にしたのですが、
そのせいかな?

明日診察です。もう病院飽きました…。

※今週浦和の試合は自重します。ただ見るだけなら何とかなりそうですが、その観るだけってのが心外なんで、今回は家でノンビリやらせてもらいます。