My Life

わかりにくいタイプの毒親育ちです。これまでの人生の整理とこれからの新しい人生の為に。同じような親をもつ誰かの為に。

青い芝の会の闘い方は、境界の侵害である

2017-07-08 | 青い芝の会の犠牲になった家族

母がしたことは子供であった私の限界を適切に設けないことであり、認めないことであり、これは境界の侵害にあたると前の記事に書いた。(境界については、心理学における解説を参考にされたい。)

青い芝の会の過激な運動は、境界の侵害そのものである。

健常者文化によって、一方的に虐げられ続けたから、こちらも一方的にやるんだ 闘いなんだ という激しいやり方は、境界の侵害をしまくっている。無償で、赤の他人の介護をしろ、その家族はそれを理解し応援しろ というのが、真っ先に、甚だしい境界の侵害である。なんで重度脳性まひ同士が結婚して2人暮らしをしているのを、無償で介護しないといけないのか。母は夜な夜な電話で呼び出された。膀胱炎になる 体がかゆい お腹が空いてる 水が飲みたい 誰かが行かないと命に関わる。お前たちがやったことだろう。どうしても理解できない。彼らの2人暮らし強行自体が、周りの人(支援者)の境界の侵害なんだ。

闘い と言いながら実際は、かれらの運動を理解し支援する母のような人達を使って搾取しているだけで、世の中の「冷たい」人達は、かれらにかかわろうとしないのだから、闘いになってない。味方してくれる人達の首根っこつかまえて、苦しい介護(全て無償)に耐えさせているだけである。
かれらの暴力的な2人暮らしの強行による「闘い」を支えているのは、支援者たち(かれらは「仲間」と呼んでいる)であって、かれらが闘うべき冷たい社会は、かれらに全くかかわらないのである。だから母が車で50分かけて介護に頻繁に行ってる。闘ってる と言いながら、実際は味方してくれる人に無償の介護という苦役を負わせどこまでも利用し倒しているだけで 普通の、「常識」的な健常者たちはかれらと一切かかわらない。

このことも、私に強烈に歯ぎしりをさせることである。闘いとは、その相手に対してなされるものである。相手に、この場合、冷たい「常識人」たちに、問題をつきつけるものである。でもかれらの「闘い」は、味方してくれる支援者をどこまでも首根っこつかまえて搾り倒して試す形でのみ行われているのであって、他の普通の冷たい市民はまったくかかわっていないのである。この理不尽さ、倒錯は強烈なものがある。

かれらは、どんな覚悟で2人暮らしを強行したのか。死の覚悟をしたのかと言いたい。かれらの強行した運動は、一方的に他者の介護に委ねられている。他者が介護してくれなければ、かれらは死ぬのである。これは、脅しの構図である。勝手にやって勝手に死んどけよと私は言いたい。母は、他の支援者たちが「忙しい」と言って断った介護まで、1人で引っ被っていた。人の助けを全面的にあてにした「闘い」って、とても理解できない。覚悟とは、自分で責任とるから覚悟である。うまくいってもいかなくても、自分でその結果を引き受けるっていう。この人達がやってることって、脅しじゃないか。死ねよ 母みたいなイネイブラーがいたから、どこまでもかれらのタカリは終わらなかったんだ。金のタカリよりももっとタチが悪い、人のやさしい気持ち、善意へのタカリだ。

私は大人になり、言葉をもった今、母に、思いのたけをぶつけまくって、理解し反省し改めてくれている。

聞いたところによると、青い芝の会は、そのやり方が誤りであったことをどの程度かは知らないが認めているとのことで。それならば、真っ先に私たち家族のところに謝りに来い。お前らが1番タゲッて搾り倒した人だよ。母は、お前らに「仲間」と呼ばれながら「利用されてる」「タゲられてる」ことわかってやってたんだよ。母がそう言ったんだ。大人になった私に。

 



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