母は、私が 変性意識状態 になるのを なにかとやっきに 潰してきた
日常から浮ついた意識は 泡沫(うたかた)のまやかしなんだ 地に足をつけて生活せよ と
私が変性意識状態になると 例えば、恋を謳歌している時 官能的な音楽に魅了されている時期 毎日が楽しくてしかたない時 などに 冷笑ぎみに 浮ついた状態だと こきおろしてきた そしてルーチンワーク ルーチンワーク と諭した まるで自分は、普遍の正しい日常意識 を知っている かのように
常に「じゃがいもを喰う人々」でいることを要求されてきた
元来、変性意識に入りやすく、それが大好きな私は、変性意識状態は悪いものとして、罪悪感をもち自分で禁じるようになった
そして、生活者としての実用だけを目的に、地味でなんの特徴もない服・靴を買うようになった 全然可愛いとか素敵だとか思わないのに、わざとのように地味な服を着ていた
でも今なら言える
日常の営みを回している、面白くもなんともない、地に足のついた意識 と母が思っているそれも、刷り込みによる思い込みであり 心理の産物であり
それだけを着実なるものとし、そうでない意識をまやかしとするのは 随分と乱暴な理屈だ って
どうして、同じく対等のものを こんなにも恣意的に取捨選択し差別するの?
外国の生活文化を学べば、日本での常識・当たり前は、外国ではまったく違うということがわかる。日本の常識と逆 のことだってある
変性意識には 日常のあらゆるシーンで入ることができる
そう思っていない人達が、都会に沸いてきて、必死にいきんで道を闊歩する女たち である。彼女たちの極端な気負いは、テンション&リリースを露呈していて 私にはとてもださく見える
大人になった私は、変性意識を 今度は 自信をもって 謳歌できる
また変性意識に入ることを 自分で導いたり することができる
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