My Life

わかりにくいタイプの毒親育ちです。これまでの人生の整理とこれからの新しい人生の為に。同じような親をもつ誰かの為に。

泣けない子ども

2017-10-19 | 毒親育ち

母の猛毒は今でも変わらない。母の、無言のメッセージ 強いメッセージは、幼い頃も今も変わらない。社会運動が何よりも大事な母。(社会運動自体を批判しているのではない。)会話の中で、それがはっきりした。

私は母の子として生まれてきた時から、不幸な人生は決まっていた 

そんな考えが降りてきて、風呂の中で、涙が出た。

どうして、その社会的弱者への徹底的な擁護の眼差しを 私には向けてくれないの

どうしてその有能さを 私には発揮してくれないの

社会に出てつらいことがたくさんあったから 気丈に平気なふりして頑張ってきたけど 本当の心はズタズタに引き裂かれていて とうとう一歩も踏み出せなくなって 家に引きこもってずっといる

母は、相変わらず社会運動 他人への無償の献身をしている。

私はよく、ハゲ坊主のおじいさんの医者を想像する そしてその医者は私にこう言ってる

「つらかっただろう」「一番の猛毒親は子をもった神様だよ 神様は、自分の子をえこひいきしないからね」

それからこれもよく想像する 母の葬儀に、たくさんの参列者が来ている。母は社会の為に 無償で献身し続けた人 まさにその身を捧げた人と言って間違いない その死を、みんなが悼んでる

私にもマイクを向けられた 私は「やっと 死んでくれたね これからは私が生きる番だよ」って言うと 参列者たちは ギョッとして耳を疑い静まり返る 私は続ける「だって これ言わないと 私の人生始まらない」「みんなは 母に助けられ 素晴らしい影響を受け 希望をもった 母を厚く信頼している その裏で私は涙さえ押し殺していた 泣いていいなんて思えなかったから 社会をよく変えるのが何より大事なんだから 私の気持ちには関心が払われなかった」

 



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