真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

今を生きる1(佳き記憶、悪しき記憶)

2012年09月10日 21時39分23秒 | 無思考の時代へ
記憶力が良ければどんなにか楽しい人生でしょうか?
学校の入試は記憶が第一ですから、当然一流学校に入れて一流企業に勤めて給料をたくさんもらって、出世して・・・



記憶は過去の自分の誤りを正すことができるし、今後の教訓にもなるし、とても有効なものです。
しかし私たちが生まれ変わって前生を思い出せないことの理由が、恨みつらみを今生に持ち込まないようにするためなのと同じように、現生に於いても心を無にして記憶から離れることは必要なのです。
過去生に強く恨んだ人も、深い関わりのあった人ならば、また今生で御縁を持つからです。

今生の記憶だって忘れなかったら、その重みに潰されてしまいます。
過去の記憶があるから私たちは賢く生きることができます。
しかし問題はその質なのです。間違えばそれは魔物と化すのです。

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快楽の記憶が更なる欲となって快楽をのべつ幕無しで追い求める。

恐怖の記憶が呪縛となって、事あるごとに恐怖心と背中合わせになる。

そのような記憶と思考に占領された脳の状態で毎日毎日を生きていたら本来の道を踏み外し、踏み外した道に戻るどころか、踏み外した道を正論として進む人生になってしまいます。
軌道修正するには、如何に全体意識のポジションと多くの瞬間瞬間で繋がるかが大切なのです。

現代人は自分のアイデンティティを相対の中に求めています。
その判断基準となっているのが記憶の中に思考して作られている尺度です。
その尺度上で上を求める心、それは浴のひとつです。
欲は記憶の中で絶え間なく泳ぎ続けている思考によって膨らみます。

しかし、そんな「類は類(とも)を呼ぶ」念波が放縦に侵略し、思考に支配された多くの知識人達が大勢寄ってたかって間違った正論を常識として本に書いて、親や教師が子供に教えて、法律に定めています。

しかしこれら固定されたものはすべて真理ではありません。
真理は常に不変・不動(絶対)であっても、時と場、人に合わせて、変幻自由に、今に合わせて在る普遍性を併せ持つのです。
時の中で固定された永遠でないものに意識を合わせてはいけないのです。
常に意識は自由に、大我の海に委ねるのです。

真理は一瞬思考が止まったときに、私たちの意識の大海原からやって来ます。


     あるビジョンの図・・相川昌一氏制作 

このテーマの記事は明日に続きますが、この図から何を連想しますか?

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