真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

宇宙の意思と自分の意志2

2012年10月05日 21時17分46秒 | 無思考の時代へ

昨日の夕方は日本橋タカシマヤで行われている、たけさんの個展にブログの読者5名で行ってきました。
丁度、宇宙学徒の飯田橋の勉強会の後ということもあり学徒の方(全員女性)がわんさかわんさか集まりました。
1時間近く、会場で皆さんと楽しく談笑させていただきました。
写真を一枚も取らなかったのが残念ですが、皆さん明るい方ばかりでした。
ポストカードや絵などの売れ行きも上々のようでしたが、東京での個展が恒例のものとなるよう願いたいです。

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一生懸命と一所懸命の意味がその本質を観ていくと大きく異なることは、【今を生きる5(今を手放す)】
http://blog.goo.ne.jp/tobira2002/e/923b82157b751c41b088bfa08d8ac4fe
で既に書きました。

意思と意志にも二つの意味があることは【宇宙の意思と自分の意志】
http://blog.goo.ne.jp/tobira2002/e/2126b4750476c296df1b157ae3282e62
でその触りを書きました。

一所懸命と一生懸命以上に、意思と意志に関してはまったく別の意味がそこにはあります。
この二つは全く異なるエネルギーです。

意識には遺伝するものとしないものがあります。
遺伝しない意識の代表が愛です。
愛は命の根源なのでを意識と表現することはちょっとはばかりますね。
そして愛に加えて意思も遺伝しないものです。

愛は全体意識から流れてくるもので、人間自身が備えているものではありません。
この人はたくさん愛のある人、この人は愛のない人ということはありません。
人間が愛を受け容れる器が(肉体に比喩すれば血管が)大きいか小さいか、流れが滞っていないかで愛のある人、愛のない人と、その差が出るのです。
冷え症で血流が流れていないと思う人は、愛を流しているかに意識を向けてください。

入ってきた愛を出すことが重要で、愛が欲しい愛が欲しいと言う人は愛の本質を理解していません。
愛は人から人に渡るものの元々は天の神様からいただいているものです。
愛はエネルギーでエネルギーは溜めておくことができません。
お金と同じ、貯めてはダメ。
常に循環しなければ役立ちません。

そうか、今日は愛の話しではなくて意思と意志でしたね。
話しをイシに戻します。

愛も意思も全体意識からやってきます。

意思と意志の違いについてですが、意志は思考と結びつき、意思は天の全体意識と結びつきます。
つまり意志は肉体側にあり、意思は天にあります。

地上の法律的には意志は使用せずに意思を使用しますが、そもそも行動の動機というの意味です。
動機、それは全体意識の愛の判断か、思考のみのエゴの判断かとも言えます。

いわゆる天国に行くか地獄に落ちるか、といった選択もこの動機が大きな比重を占めます。

意思は天の意識、本当の自分の意識である全体意識からアイディアとして降りてくるものです。
魂の動機と言っても良いかも知れませんが、魂を通じで思考と思考の合間を縫って降りてきます。
考えて考えてらなくてからなくて、思考を捨てたとき、かった! と直観が降りてきます。
今を生きる7 (解からないと認める)

その意思が本当に役割遂行の動機として来た場合には、今の連続の中で邁進するエネルギーを伴います。
正邪善悪の「正」に裏付けられたエネルギーとしてやってきます。

意志は正邪善悪に関係なく思考によって推し進めようとするエネルギーです。

天のアイディアであろうが邪心による個人的な欲望であろうが関係なく推し進めるのが意志です。
「あの人は意志の強い人だ」というような言い方がされ、オウム真理教の麻原彰晃も意志の強い人でした。
しかし意志の使い方を間違いました。

アイディア(直観)→ 思考による計画 → 意志 → 行動

これが正しき行動を生みますが、初めの時点の直観がどこから来ているかが、とても重要なものになります。

そしてほとんどの人は思考と計画というマインドの活動時点で頓挫します。
アイディアは初めだけでなく、思考による計画という時点でも降ろさなければならないのですが、ここでマインドによる枠組み、既成概念がアイディアが湧く無思考を遮り、自由な思考をさせません。

更に面倒臭い、怖いといった怠惰な心や恐怖心が行動を規制します。
「無思考を伴う思考」という研ぎ澄まされた精神状態に到達できず、アイディアが来ず、勇気が湧きません。
結局妥協してしまい、行動を起こせません。

しかし元々光の子の本当の心は社会の枠組という規制が不自由でなりません。
だから光の子は社会に合わせるということは根本的にできない。

お金儲けの話しとか、美味しいものを食べる話とか、そんなたわいのない話もするものの、結局満足できない。

だからまた、思考だけしているマインドの言うことを捨てて、本当の自分に従わない限り、また心の牢獄に戻ってしまいます。

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