昨日まで槇原敬之さんのアルバム「Home Sweet Home」より「Happy Birthday Song」を私なりに解説しましたが、同じアルバムに「Are You OK」という歌があります。これも良いことをしたら良いことが還ってきたという「エネルギーの循環」を歌った歌です。今日取り上げた歌は「I ask」。人の中の二面性を歌った歌です(なんか英語ばっかだなぁ)。今年になって歌った「優しい歌が歌えない」も人の二面性を歌った歌です。そう言えば、宮沢賢治は「人間は青い光の複合体」と言っていました。
I ask
♪♪僕は今日何気なく口にした一行足らずの短い言葉で
誰かの心を深くキヅつけてしまった
あのとき僕はどうかしてたんだ
自分の心を逆撫でるのを止めたいのにどうしても止められなかった
たとえ見当違いだとしても言葉は悲しいほど言葉のまま
弾丸やミサイルのように軌道も変えられず届いた場所で
誰かを無意味に傷つけてしまう♪♪
先日、高校1年の息子は夕方5時に、歩いて7分の歯医者にアポが入っていました。5時15分ほど前に外出の用意のために洗面所に入りましたが、家を出たのが5時10分、17分も遅れて家を出たことになります。私はてっきり確信犯だと思い、家に帰ってきた息子に、初めは穏やかに時間を守らなければならないと言いました。しかし口答えが続くのでだんだん私も熱くなり、ついつい怒鳴ってしまいました。
しかし確信犯ではなくてうっかりして鏡を25分ぐらい見ていたのが真相でした。
私の一言が聞いたらしく、息子は目に涙をためていました。
あゝ、悪いことを言ってしまった。後で息子に詫びたのですが、答えは「別に謝らなくてもいいよ」・・・(@_@)
こういうことがあると普段の関係に修復するまで時間が要ることになります。
人に苦情を言うのは手紙が一番悪い波動を出しやすく、電話もあまりお勧めできません。やはり直接言うことが穏やかな対話になりますが、こじれてしまうと直接的ですから収拾がつかなくなります。いい経験でした。
♪♪I ask myself 僕は問いかける
I ask myself 僕の中味に
I ask myself 僕の知らない僕がいて
慣れたはずの悲しみを見当違いの誰かで晴らさないかどうか♪♪
宮沢賢治は「人は青い光の複合体」と言いました。宮沢賢治は霊が見えたりしたようで、人間が様々な意識体の影響を受けていることを知っていました。
カッ!として怒鳴ってしまう、といった先程の私の例なども、私と息子を仲違いさせようとする意識体の関与があるということも、あながちないわけではないのです。
しかし元になるのはやはり、遺伝子によって両親から受け継いだ性格、納まったところの集合意識、そして子供のころから育んできた性癖です。これらは魂というよりも、心の部分です。心は意識体が立ち寄る油の乗った蠅捕り紙みたいなものです。自分の性癖と同じような波長の意識と同調して、それらを呼び込みます(因みに魂は磨くもの、心は洗うもの ―洗心― です)。
呼び込みやすいものは、欲や怒り、憎しみ、疑い、怠ける心、心配心、羨む心、ねたむ心、イライラなどの意識です。これらに自分以外の意識が取り憑くのです。怒鳴る、などは一過性のものでしょうが、男女の色恋や賭け事は深く入り込まれますので要注意です。そもそも男女間の恋愛などは愛というより本能なので、トラブルが絶えないのです。それと宗教の依存心、これも深く入り込まれると厄介です。
そうならないようにするには、常に自分の心を見詰めることが大切です。
自分を卑下することなく自分の心をそのまま見て、そのまま受け入れるのです。
♪♪これは毎日起こるかもしれない僕の中の戦争
戦う相手はほかの誰でもない 自分を相手の戦争
問いかけることを止めれば負けてしまう 簡単に♪♪
人とのトラブルは自分あってのことで、自分の心が現実を作り出しています。それで、敵は相手ではなくて自分の中の汚れた心なのです。自分の中の良心と悪心との対立が外界に反映され、対立を作り出すのです。対立する心があるから、対立を起こして、対立を経験して、私たちの心は正されるのです。自分の心の中味を視るために、対立や混乱が起きる必要があるということです。これを理解せずに、原因を人の所為にして、反省を怠って心の欲のままにしていると、良心は簡単に悪心の餌食となってしまいます。
結果にはすべて原因があり、すべての結果は自分が作り出しています。自分の心が。
♪♪I ask myself 僕は問いかける
I ask myself 僕の中味に
I ask myself 僕の知らない僕がいて
慣れたはずの悲しみを見当違いの誰かで晴らさないかどうか・・・♪♪
アートは正垣有紀さんの「君は居眠り」
I ask
♪♪僕は今日何気なく口にした一行足らずの短い言葉で
誰かの心を深くキヅつけてしまった
あのとき僕はどうかしてたんだ
自分の心を逆撫でるのを止めたいのにどうしても止められなかった
たとえ見当違いだとしても言葉は悲しいほど言葉のまま
弾丸やミサイルのように軌道も変えられず届いた場所で
誰かを無意味に傷つけてしまう♪♪
先日、高校1年の息子は夕方5時に、歩いて7分の歯医者にアポが入っていました。5時15分ほど前に外出の用意のために洗面所に入りましたが、家を出たのが5時10分、17分も遅れて家を出たことになります。私はてっきり確信犯だと思い、家に帰ってきた息子に、初めは穏やかに時間を守らなければならないと言いました。しかし口答えが続くのでだんだん私も熱くなり、ついつい怒鳴ってしまいました。
しかし確信犯ではなくてうっかりして鏡を25分ぐらい見ていたのが真相でした。
私の一言が聞いたらしく、息子は目に涙をためていました。
あゝ、悪いことを言ってしまった。後で息子に詫びたのですが、答えは「別に謝らなくてもいいよ」・・・(@_@)
こういうことがあると普段の関係に修復するまで時間が要ることになります。
人に苦情を言うのは手紙が一番悪い波動を出しやすく、電話もあまりお勧めできません。やはり直接言うことが穏やかな対話になりますが、こじれてしまうと直接的ですから収拾がつかなくなります。いい経験でした。
♪♪I ask myself 僕は問いかける
I ask myself 僕の中味に
I ask myself 僕の知らない僕がいて
慣れたはずの悲しみを見当違いの誰かで晴らさないかどうか♪♪
宮沢賢治は「人は青い光の複合体」と言いました。宮沢賢治は霊が見えたりしたようで、人間が様々な意識体の影響を受けていることを知っていました。
カッ!として怒鳴ってしまう、といった先程の私の例なども、私と息子を仲違いさせようとする意識体の関与があるということも、あながちないわけではないのです。
しかし元になるのはやはり、遺伝子によって両親から受け継いだ性格、納まったところの集合意識、そして子供のころから育んできた性癖です。これらは魂というよりも、心の部分です。心は意識体が立ち寄る油の乗った蠅捕り紙みたいなものです。自分の性癖と同じような波長の意識と同調して、それらを呼び込みます(因みに魂は磨くもの、心は洗うもの ―洗心― です)。
呼び込みやすいものは、欲や怒り、憎しみ、疑い、怠ける心、心配心、羨む心、ねたむ心、イライラなどの意識です。これらに自分以外の意識が取り憑くのです。怒鳴る、などは一過性のものでしょうが、男女の色恋や賭け事は深く入り込まれますので要注意です。そもそも男女間の恋愛などは愛というより本能なので、トラブルが絶えないのです。それと宗教の依存心、これも深く入り込まれると厄介です。
そうならないようにするには、常に自分の心を見詰めることが大切です。
自分を卑下することなく自分の心をそのまま見て、そのまま受け入れるのです。
♪♪これは毎日起こるかもしれない僕の中の戦争
戦う相手はほかの誰でもない 自分を相手の戦争
問いかけることを止めれば負けてしまう 簡単に♪♪
人とのトラブルは自分あってのことで、自分の心が現実を作り出しています。それで、敵は相手ではなくて自分の中の汚れた心なのです。自分の中の良心と悪心との対立が外界に反映され、対立を作り出すのです。対立する心があるから、対立を起こして、対立を経験して、私たちの心は正されるのです。自分の心の中味を視るために、対立や混乱が起きる必要があるということです。これを理解せずに、原因を人の所為にして、反省を怠って心の欲のままにしていると、良心は簡単に悪心の餌食となってしまいます。
結果にはすべて原因があり、すべての結果は自分が作り出しています。自分の心が。
♪♪I ask myself 僕は問いかける
I ask myself 僕の中味に
I ask myself 僕の知らない僕がいて
慣れたはずの悲しみを見当違いの誰かで晴らさないかどうか・・・♪♪
アートは正垣有紀さんの「君は居眠り」