真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

私を観ている私

2012年10月12日 21時23分07秒 | 無思考の時代へ

エゴが元で作られている固定観念という呪縛から今、人々は放たれなければならない。

それには気付きが必要となります。 
気付きは、人に尋ねるのではなく自分の中で自分の洞察によって見つける必要があります。

私たちは常に自分の中に問題を抱えています。
その問題は自分の心を超えることを命題として存在しています。

心の中に固定観念があり、問題を固定観念という思考が元で作られた枠の中で解こうとしています。
固定観念や、それを元に作ってしまった概念は、本当の自分の外に存在しています。
だからいつまで経っても自分の中に入りこめず、真理と巡り合うことができません。
現代の普通の人は自分の内面で考えているつもりであっても、実際にはそうでない場合が多いのです。

まして、本に答えを見出したり人に尋ねるという行為は、自分の内に入って問題解決をしようとしているのではなくて、自分の外に答えを求めているということなので
す。
自分の答えは他人の中にはありません。本にも書いてありません。

(純粋な自分の意識の中から「あの人に聞いてみようと」いう純粋な声がやってきたときは別。また共時性として本の側から歩み寄
ってくる場合もあるが、頼れる人にしても本にしても、置いていくのは答えではなくてヒントだけ)

問題解決の声は、常に神の心と共に居るときにやってきます。

(神の心、本当の自分、全体意識、純粋な自分・・・ いろいろな表現を使うために惑わされるかもしれませんが、そのときの感覚
によって微妙にイメージが違いますが、本質的には同じことです。ただ魂はまた別で、これらと心の橋渡しをしています)

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本当の自分と繋がるにはどうしたらいいのでしょうか。
それにはいつも宇宙の法則を意識し、自分自身の心でその光(回答)を見いだして行くという姿勢が大切になります。

私たちは常に宇宙の法則の手のひらの中で生きていますが、決して生かされている訳ではではありません。
私たちの意識に基づく言動が宇宙の法則を動かし、私たちの想念の結果を作り出して運んできてくれます。
私たちが自ら宇宙の法則を使い現象を作っているのです。

そういう意味では宇宙の法則は私たちが操っているとも考えられるのです。
決して生かされている訳ではありません。

だから宇宙の法則の佳き理解が必要なのです。
宇宙の法則の中の調和の法則を知れば、調和に一歩近づけるからです。
自分で作った現象から自分で学ぶのです。
それが蒔いた種の責任を取るということです。

それには常に自分自身に尋ねるという意識の持ち方が必要になります。
どんな小さなことにも意識を向けるというこ
とです。

考えて考えて考え続ける・・・ そんな姿勢が続いてついには考えに疲れ、ふと「無思考」になったとき、それはやってきます。
考えている次元には真理はないのです。
真理は「只在る」という次元に在り、思考は只在る状態をつくれません。

思考空間とは全然別のもっと広大でもっと深遠な意識の世界に真理はあるのです。
思考空間は人間の脳と心の世界なのです。

考えているだけでは真理はやってきませんが、無になろうと瞑想状態だけを延々続けても真理はやってきません。

私は長い瞑想は得意ではありませんが、その代わり短い瞑想はよくします。
そのやり方は、考え続けて問題の答えに詰まったときに、ふと瞑想状態をつくるのです。目を瞑るとは限りません。
私の場合はいきなり瞑想しても何もやってきません。先ず、何気に考えるということが必須です。

理想は瞑想などしなくても、
思考→無思考→思考→無思考→ ・・・ の流れができることが望ましいのです。

真理は思考と思考との狭間から本当の私である全体意識から予告なしにやってきます。

そして考える行為(目的・真理の方向性)を示すことで、私たちは普遍的真理を獲得することができます。
動物は考えないので真理を誘導することはできません。
人間は考えることで真理を誘導できるから、謎解きができるのです。
自分が自分のメシアになることができるのです。
救われる道はここにしかありません。

しかし考えている私は本当の私ではありませんが、その考えている私の状態を観ている私がいます。
悲しんでいる私、苦しんでいる私、悩んでいる私は思考に嵌まっている私です。
そんな思考している幻想の私の「問題」を観ているもう一人の私がいます。

それが全体意識である本当の私です。
思考に疲れ、すべてを投げ出したとき、全体意識は思考に沿って真理を下ろすのです。
それが普遍的真理です。 

だから思考(考える努力)が必要なのです。
そして思考を放棄し、無思考を招くことが必要なのです。

本当の自分は全体でもあるのです。
真理は、自分の中からやってくるのと同時に、共時性としていわゆる偶然を作り出しているのはこのためです。
共時性とは導きであり、全体意識の共同創造なのです。

共時性の起きた動機を共同創造として理解したとき、あなたは全体意識にまた一歩、近づいたのです。

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