真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

今を生きる6(現実を手放す)

2012年09月19日 21時05分13秒 | 無思考の時代へ

本日二つ目の記事で、
本日いただきました「ひらめき」です。

ガンになったある人が言いました。
「何で私がガンになるの?」・・ 
多分、何度も何度も同じことを考えたのかもしれません。

しかしそれは過去の後悔のようなもの。
私たちは不公平と思えても、初めからそれを受け入れていることがたくさんあります。

どうして、貧乏人の家に生まれてきたの?
どうして、白人の国に黒人として生まれてきたの?
どうして、生まれつき歩けなかったの?
どうして、生まれつき頭が悪いの?
どうして、生まれつき背が低いの?
どうして、生まれつき不細工なの?

書き出せば幾らでも出てきます。
が、生まれつきだったら、こんなこと考えていたら生きていけません。
生まれつきの境遇の場合、だいたい受け入れています。

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先のガンに罹患した方のように、健康なのに急に不幸になると、考えてしまいます。
自分の不幸について深く悲しみを伴って・・ 何故だろう、何故だろ?

それに気づこうとします。原因を探ります。
程度は一概には言えませんが、病気は気づきによって改善します。
だから気づきはとても大切で必要なものなのです。

しかし何故だろ何故だろうと考えても、気づきはやって来ません。
気づきを得るためには、またエネルギーのサポートを得るためには、心に居座り続けようとしている「御法度の心」を生んでいる現実を手放さなければなりません。

 御法度の心 = 憎しみ、妬み、嫉み、羨み、呪い、怒り、不平不満、疑い、迷い、心配心、とがめ、いらいら、せかせかの心・・・

手放すとは、その現実を在りのままに受け入れるということなのです。
一見、矛盾しているようですが、現実を手放すとは、受け入れて放棄する、超越するということなのです。

自分とは別のものとして忌み嫌うのではなくて、自分そのものとして受け入れてしまうということなのです。

生まれながらのハンディキャップはそれを心に担いでいません。
無いものを無いものとして、背負ったものを背負ったものとして、自分自身として何事もなかったかのように受け入れているからです。

だから「受け入れる」ということは、
「放っておく」「知らん振りする」「気にしない」「こだわらない」ということでもあるのです。

この二つを矛盾なく理解して実践するとき、私たちの人生は変わっていくのです。


しかし病気とか事故とか人生の途中で遭遇した不幸は、確りと心に残り、居座り続けます(或る程度時が経つと自分のものとなり受け入れ、解決しますが)。

だからこそ、悲しみを手放さければなりません。
現実の自分を何事もなかったかのように受け入れなければなりません。
そうしないと新たなエネルギー、英知はやってこないのです。
そうすれば偉大な英知も、インスピレーションも、ひらめきも、あなたの中に大きなパワーとしてその偉大な力と活力を発揮するのです。

いま生まれたばかりのように、当たり前のこととして、日々の現実は受け入れるものなのです。

一瞬一瞬、私たちは生まれているのです。

いま、この瞬間も。

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