アンティーク青葉2021

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単純と複雑

2024-01-20 02:32:46 | 日記
春が近づいてきた。
能登の大地震は痛ましい。
しかし、こんなときに、周りは人事で、ごますり体制に入っている。
能登の大地震は痛ましい。
今は、みな、中世の修道院のように、身体を隠すべきだ。
無心に復興にあたっている人。
祈りの姿。
災害国、日本は、昔から助け合いを生み出してきた。
しかし、現在の姿、個人、経済、教育戦争。
対立だけの世界。
人生の目的が対立だという世界。
あらゆる個別の事に共通なのは対立、つまり敵対する相手の存在が前提である。
相手なくして自分はない。
むき出しの戦争ではなかったのが、いまでは、むき出しの戦争。
笑いながら、刃で刺す。
むき出しの怒りと、言葉による脅迫。
組織という牢獄の中で逃げる場所はない。
悪貨は良貨を駆逐する。

例えば、ある組織がある。
理解のある人達が組合をつくる。
すると、意地の悪い、出世主義者が、孤立する管理職をとりまき、あいつは赤だと言って、有利な餌を求める。
そこには、知性も思いやりもなく、ただ、野卑で低俗な対立主義があるだけだ。
自己をむき出しにした、そのための手段としての対立。
みにくい心の身体がむき出しになってあらわれる。
みにくい心の身体が、むき出しになって空虚の回りに集まる。

そして、思いやりのために集まった祈りの姿の人々は、その身体の抹消まで脅かされる。

現代は、思いやりという祈りの姿すら絶滅していこうという時代だ。
けれども、おびやかす集団は、対立を本性とする私利私欲の亡霊で、これが空虚を動かし、私利私欲を達成しようとする。

だから、祈りの姿は、弱いが、対立を本性とする亡霊のように空虚ではない。

そして、そもそも、残るのは、空虚ではなく、
道端に咲く花をときとして咲かせる草。
石の中に生きる草。

複雑な空虚は、空に消える。
残るのは、ただ単純な石ころ、草。

身体の復権

2024-01-05 01:09:14 | 日記
飛行機事故があった。
燃えさかる炎のなか脱出する人々。
乗客、乗員全員無事でよかった、と誰もが思う。
一方で、いまだ続く不明者の捜索。
東日本大震災で終わりではない、江戸時代から続く、日本の地震。
日本列島が、なまずの背中にのっているようだ。
現代の災害と、古代からの歴史的災害が同時におこる日本。
ここでは、中東のように、何千年も続く対立など起こりようがない。
借金も地主制もあるときチャラになる。
応仁の乱、戦国時代、大政奉還、農地改革、財閥解体、と幾多の犠牲を払いつつ、これまで、
狭い国土のなかで、分裂することもなく、歴史を連綿とつむぎながら、リフレッシュしてきた。
宗教権力が支配的になることもなかった。
そのかわり、世俗と宗教の分離も生煮であった。
そのため、フランス革命のような、身体の復権も行われず、明治期の人は、ロダンの彫刻を見てびっくりした。
しかし、戦前の人は、農作業で鍛え上げた身体を保っていた。
解放を唱えた知識人、学生は、日本の根底にあった身体を否定することで、今のスマホ少年となにも変わらなくなった。
西洋の知識は頭だけ。
身体の処置を知らない、
学生運動は、男女の恋愛に身体のはけ口を求めた。
三畳一間の小さな下宿から、マイホームへ。
西洋哲学の姿はかけらもない。
言ってた方も、言われてた方も茶番だ。
このように、日本の身体を忘れた頭でっかちの
思想というものが、日本を駄目にした。
その証拠に、今、日本は、理系ですら、博士号をとることのない低学歴国家である。



時間

2024-01-02 03:18:22 | 日記
暇になったら時間についての本を読もうと思う。といっても難しいのではなくて、そのうち読めるものを。
ところで、大学生の時は、デートを連続的にする金ももちろんなく、おまけに、時間もなく、
ついでに、社会人になっては、不運だらけで、 ここまで来てしまった。
が、いろいろと解決しないことはおおく、金は相変わらずない。
本を読み、茶道に少し励んでみたが、悟りとはほど遠い。
ごろごろ寝ながら、あれこれ思うcogitoが、だらしがない。
あっちにいこう、こっちにいこう、と資料を集めるが、体力が極度に落ちているのか行かない。
若い人には、若いときに、とくに、日本を歩き回ってたほうがいい、と言いたい。
日本は、安全で人情が篤く、安心して水が飲める。
トイレ事情がいい。
清潔である。
日本語が通じる。
私は、時間の使い方が下手だ。というかわかっていない。
しかし、最近、母親のために、買い物をして、実家に行くようになり、少し安定した。
思うに、大学時代に、学問に励みつつ、部活に精を出すのは、理解できるが、というか、私は考え出すと長いので無理です。
恋愛は、理解できない。
私には、そもそもその能力がない。
というか、われ思うゆえにわれあり、の先にすすまない。
せめて、満天の星を見上げて、道徳律を感じるカントまでだ。
そもそも、なんか、中国思想でもはまってればよかったのか、というのは、中国哲学をしてきた女性に出会って、なんか素晴しかったので。
また、レヴィストロースの南回帰線を読み返したときに、夏と原始に憧れた。
ということで、学生時代の末期には、南国にいた。
こういうことで、私の時間は素晴らしく効率が悪い。
最近も、よく、東北の田舎の夢をみる。
私の夢には、都会が出てこない。
家庭もないので、夢でもいつも独り身だ。
いろいろと考える夢を見る。
かなり長編だ。
こういうことでも効率が悪い。
極めつけは、勉強で、歴史とかのことをテーマにもうずっとやっている。
効率がすべての現代文明のなかでかってにやっている孤島のようだ。
時代は激しく変わっていく。
しかし、自分はゆっくりにしか変われない。
落ちこぼれてなにがわるい。
今の子供にこの気概をもって欲しい。
自分にしか出来ないこと。
自分がやりたいこと。
映画本能寺ホテルで、主人公が探していること。
先祖代々日本人が探してきたこと。
時間のことを考えるのは、その最後でよい。



根性と体力

2023-12-27 22:23:48 | 日記
日本の中間管理職は、友達だが監視をしている。北朝鮮のスパイのようだ。
しかも、忖度も充分あって、元偉い人がすぐ、人の会話を横取りしたり、暇を持て余して、人の邪魔をするのは、OKだ。
そして、勤務評定は、仕事がないので、ミスもなくAAである。
この状態は、変わらない。
そして、偉くもない人々は、低賃金で暮も残務処理におわれる。

と、これは、年末に書いたメモだ。

日本の中間管理職が普段友達のようなのは、単に孤独に弱いからだ。
給料は高く、勤務評定を大義名分に、監視をしている。
実に危なっかしい存在だ。

そんな凡庸な頭に、なんの専門がわかろうか。
ここに、専門が一般より低次にある日本の悲劇がある。
専門を一般でしか評価せず、あるいは、一般と言うなの無能が、ただ鵺ぬえのような存在として万能感を持つ。
専門は一般でしか評価されない。

つまり、日本は、高度な専門知識は、低次の一般によって理解されないがために、住む場所がない。
ゆえに、日本は低学歴国家となった。
残るのは、〇〇大学という勲章ばかりであるが、これもあやしい。
というのも、教養主義が崩壊したからである。
残るのは、アナーキーばかり。
それをおさえ、組織をまとめるのは、ただ、体力と根性。
日本の管理職の特性か。
しかし、これをそもそも組織と呼べるのか。
高崎山の猿の世界ではないか。
世界で唯一、部活が日本にあるのは、徴兵制の代わりであるとともに、日本型組織のエリートの必須の要素である根性と体力を養成する場であるからだ。

脊振神社

2023-11-29 15:33:28 | 日記
山奥の脊振神社に行った。
本殿は佐賀の乱で焼失し、現在のは、おそらく明治のものだろう。
参拝者もほぼなく、家族連れのミニバンが1台出て行っただけ、三連休の間の土曜日。
しかし、水はきれいで、心が洗われるよう。
社殿への階段を登り、参拝。
しかし、疲れから、手摺にすがって登ってしまった。
南関の生目神社のように、急で狹く長い石段でもないのに。
なんか元気がない。
しかし、山道、オートバイは気持ち良さそうだ。
こっちも貯金擦り減らしたシビックだぞ。
鳥の糞載っけているが。
まあ、お互い女載っけていないのは、同じだが。
しかし、国産はいい。
故障しないし、カッコよくて外車より安い。
普段は原付きです。
人がいない社殿でしたが、巫女さんが、お守りと一緒におられて、参拝後、お守りとおみくじ頂いて帰りました。
梅のお茶も頂きました。
大変きれいな巫女さんでした。
この世のものではないように美しかった。
岩清水が此の世のものではないようにおいしかったです。

以下、蛇足の世俗編
山奥を去ると、やがて、農村の光景。
しかし、そこから国道に出ると、世俗だなあと感じました。
今回は、スマホ忘れたのて、
次回、画像付きでアップしようと思います。

以下、思うこと
今まで、行ったなかでは、聖なる感じが一番する神社。
人が見失っているものがある。
山そのものが結界で、世俗ではない。
山里からさらに山里をへて、二重に浄化されたところにある。

濁流編
世俗がどうあろうと、山の木々はかわらない。
大切なのは、世俗で生きる心を捨てることだ。
人生で選択をすると必ず裏目にでる。
なるようにしかならない。

慣性系 
山奥の神社と巫女が、この世界から逸脱した世界としても、その世界に住むことはできない。
一つの異界なのかもしれない。
われわれは、あるひとつの慣性系のなかにいる。
私は、孤独な独身だが、ふとしたことで、幸せを見ることがあった。
古いアパート、その中で、母子の姿。
父は、仕事で時々帰る。
決して経済的に豊かではないが、幸福というものがある。
経済的エリートが極楽に行くわけではない。

異界
川端康成は、異界に囚われた人だったように思う。
人はなにかに囚われている。
異界を支配と金銭で取り除こうとしても、
それはどこかにある。
というか、
心の異界を放出するところを同時に潰していっている。
それは、魔というものであるか。
ソクラテスもイエスもそのことを知っていた。