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時の関守

一番幸せだったとき

ブログ『犀のように歩め』さんの、「答えの結晶」を読ませていただきました。
何かわからないですけど、心に響きました。
そのなかに、「一番幸せだったのはいつだった?」って、孫がおばあちゃんに聞くというのがあって、そこが良かったですね。

自分に同じ質問をしてみました。すぐに答えがでてきませんでしたので、ブログに書いてみようと思いました。
きっと、書いているうちに、いい答えが浮かぶかもしれない。
少し楽しみながら書こうと思います。

楽しかったのは、すぐ浮かびました。子供がふたりとも男だったので、野球のまねごとをして、遊んだときかな。
私が独自に考案した、すごろくは第5弾くらいまでつくりました。
最後はこりにこって、つくったのを覚えています。
子供が自分と同性だと、いっしょに遊べますから、とても得(とく)した気分です。

でも、いつが幸福だったのかと聞かれると、やはり私の場合、信仰のはなし、神さまのはなしを聞かせていただいたときが、一番幸福だったかもしれません。
信仰の話しは、必ず常識にはないことがでてきますし、私には未知な世界でした。
だから、夜になって、寝る時間になっても、寝ずにずっと聞いていたかったですね。
とても幸福な瞬間でした。

もちろん、話を聞いても、それを実行に移すことが大切なので、ただ喜んでばかりはいられません。
実行となると、さすがに難しいですね。
そんなこんだで、ここまできてしまいましたが、私が学んだこと、悟ったことを、誰になのかわからないですけど、伝える義務があるのかなと、最近思うようになりました。

やっと最近、とくにブログで書くようになって、書くことによって、天の心の一端(いったん)に気づくようになった気がします。
自分で書いているのですが、教えていただいている、気づかされている、そんな感覚でしょうか。

せっかく教えていただいているのだから、自分だけ喜んでいてはだめだよ、人にもその気づきを伝えるのが、これからのお前の役目なんだよ、そういわれている気がします。

ですから、
私が一番幸せなときはいつ?という問いの答えは
これまでのことではなくて、これからさき(たいして、残ってません😂が…)、ご縁のある誰かに、私が今思っていること、思わされていることを共有できたとき、そのときが、私の人生で幸せを感じるときなのかもしれない、そんなふうに思いました。

そうなると、いいのですが…。


コメント一覧

tokinosekimori-kitaiwahara
@umikazegafukubasho こちらこそ、いつも海風さんのブログを読ませていただいています。
海風さんが、この前、瞑想のこと書かれていましたが、私は瞑想がとても苦手で、どうしようかなと思っていましたとき、文章を書いていると、それが私にとっては、なにか瞑想に一番近い状態なのではないだろうかと思うようになりました。
(じっとしているのが、めちゃくちや苦手です。)
きっと、一日一回、心のリフレッシュ、天とつながる大切な瞬間(とき)なのでしょうね。
でも、それにふれると、めちゃくちや元気になります。
umikazegafukubasho
いつも読ませていただいてます。
今日の投稿は特に、「楽しい」というお気持ちが文面からも伝わり、私も笑顔にさせてもらいました。お昼休みのひとときに素敵な気持ちにさせていただき、ありがとうございます🎵

書いている段階で思っていることにピッタリの表現が出てきたりすることは私もあるので、すごく共感しました。
これからの記事も楽しみにしています。
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