すると、どこからか心の声が聞こえてきました。
「そのものは、教祖が現れることを、自慢したり、
人に言ったりした。
それが、そのものの心の曇りとなって、見ることができなくなったんだよ。」
「だから、
つねに謙虚でありなさい。
(なにかを自慢したり、人に嫉妬したり、ちょっとしたことに腹をたてたり、うらんだり、)
自分の心を汚すことから、
離れなさい。
心を曇らせてはいけない。」
正直にいえば、私にとって神は遠い存在でした。
ただ、なにか心の深い部分で、宗教の教えが、
私の心の琴線(きんせん)にふれていたのも事実です。
高校を卒業した時、
母が一度だけ、
私が生まれる前にみた、夢の話しをしました。
キリスト教の牧師と、お寺のお坊さんを従えた人が、三宝をかかげて、
「お前に子を授けよう。」
といったそうです。
もちろん、母のたんなる夢なので、だからどうなんだと思っていました。
自分は自分と思って、これまで過ごしてきました。
しかし、いつの間にか、60年以上の歳月がたっていました。
もちろん、自分は自分と、
わが道を進んだつもりだったのですが、
あるとき、自分が(神がのぞむ)
使命を果たしていないことに気づきました。
母の言葉にしばられるつもりもありませんが、
母が期待していたであろうことの、
ただの一つもはたしていない、という焦燥感が、
私を苛(さいな)んでいました。