goo blog サービス終了のお知らせ 
見出し画像

時の関守

心のなかに神を住まわせるということ(4)

私もできるなら、どんな難病でも、医者がだめだといったような人でも救えるようになりたい。
そう、ひそかに思っていました。
一度、自分の不徳もかえりみず、天に祈ったことがあります。

「意識がもどらないという病人でも、治してあげれるようになりたいのです。
そうなるためには、具体的に何をすればよいのですか?」

それは難しいなぁ
こればかりは、その人の資質にかかわってくるのだよ
治したいと思っても、そのものに資質がなかったら、だめなのだ
思うだけではだめ
本来、持って生まれたものがあるかによって決まる

お前には、お世辞にもあるとは思えん

私はすこし、腹をたてていました。
「私はずっと(何年も)、意識のもどらないかたのため、天に祈っていました。
でも、そのかたの意識がもどることはありませんでした。
そのうちに、あきらめの気持ちが出てきてしまいました。
人は誰もが強いわけではないでしょう?
いや、弱い人間のほうが多いはずでしょう?」

どんな立場にいるものでも、ひとりの人間であることには変わりない
万能ではない
できないことがあって、あたりまえなのだよ
ただ、やっていること(天に祈ったこと)に、無駄(むだ)はないのだ
それは、今は目に見えなくても
いつか、違う何かの形となり
いつか、「あー、こういうことだったんだ」と思う時がくるから

自分を、天(神)を、信じるのだ
いつか、わかる時がかならずくるのだから…
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る