その後、片方の目に少しずつ黒目がでてきます。
翌年、母は娘の片方の目に黒い瞳が出たお礼を述べに、再度訪れます。
母がお礼をいうと、先生は、
「そうかい…良かったね…じゃあ…もう片方の目も見えるようにしてあげるよ…」
といって、娘の目をさすります。
当日、帰りの汽車のなか、窓際にいた娘が突然、
「あっ、お母ちゃん、煙が見える。黒い煙が見えるよ…」
と、うれしそうにはしゃぎだすのです。
母はおどろいて、娘の目を見ると、つい先ほどまで、片方が白目だったのに、なんと両眼そろって、黒目がはいっているではないか…
母は思わず娘を抱きしめ、随喜の涙をながすことになります。
「信仰の道は、神さまという信念を片時も離したらだめです。
…形だけではだめなんです。
神さまという心が軽くなってきますと、まぁこのくらいはとか、まぁ一度だけなんだからとか、誠によくないことをやりたくなってしまうんです。
自分でも内心いけないと承知していながら、自分で自分を許してしまいますから恐ろしいのです。
人間の好きなことくらい、恐ろしいものはありません。
いけないいけないと承知しながら溺(おぼ)れていってしまうんです。
だから、心の中から神さまを離しちゃいけません。」
先生はこうも言っています。
「寝ても起きても、立っても座っても、僕は一寸たりとも神さまを心から離さず、一心同体の気持ちで通っているよ。」