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時の関守

心のなかに神を住まわせるということ (3)

「僕がいい目をあげるよ…」と言った老人が、多くの人から生き神のように慕われていた先生でした。
その後、片方の目に少しずつ黒目がでてきます。
翌年、母は娘の片方の目に黒い瞳が出たお礼を述べに、再度訪れます。
母がお礼をいうと、先生は、
「そうかい…良かったね…じゃあ…もう片方の目も見えるようにしてあげるよ…」
といって、娘の目をさすります。

当日、帰りの汽車のなか、窓際にいた娘が突然、
「あっ、お母ちゃん、煙が見える。黒い煙が見えるよ…」
と、うれしそうにはしゃぎだすのです。
母はおどろいて、娘の目を見ると、つい先ほどまで、片方が白目だったのに、なんと両眼そろって、黒目がはいっているではないか…
母は思わず娘を抱きしめ、随喜の涙をながすことになります。

「信仰の道は、神さまという信念を片時も離したらだめです。
…形だけではだめなんです。

神さまという心が軽くなってきますと、まぁこのくらいはとか、まぁ一度だけなんだからとか、誠によくないことをやりたくなってしまうんです。
自分でも内心いけないと承知していながら、自分で自分を許してしまいますから恐ろしいのです。

人間の好きなことくらい、恐ろしいものはありません。
いけないいけないと承知しながら溺(おぼ)れていってしまうんです。
だから、心の中から神さまを離しちゃいけません。」

先生はこうも言っています。

「寝ても起きても、立っても座っても、僕は一寸たりとも神さまを心から離さず、一心同体の気持ちで通っているよ。」

コメント一覧

おはようございます。
素晴らしいと思います。
いつ何時も神様が自分の中にいると思って生き、全ての人に神様がいると思って生きると、世界は平和で社会は優しくなりますよね。
神様がいつ何時も自分の中に居る、それを全ての人が気付く事が大切だと思います。
そうでなければ人は人として産まれてこれないはずだと思うのです。
素敵な記事有難う御座います。
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