元・講談社「少女クラブ」編集長 丸山 昭氏が、昨年12月にご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
トキワ荘通りのイベントでは大変お世話になり、いつもトキワ荘とマンガについて熱く語っていらしたお姿が目に浮かびます。
トキワ荘の復元施設の完成をご覧いただけなかったのは、本当に残念です。
丸山先生ありがとうございました。どうぞ、天国から見守っていてください…
水野英子先生のコメントを掲載させていただきます。
丸山 昭 氏 の 功績
丸山昭氏は、雑誌「少女クラブ」の編集者として、手塚治虫先生以下に、どっと出
て来た多くの若手マンガ家を育てた方です。
トキワ荘のメンバーや、その他の新人たちが、数知れずお世話になりました。
氏は、私たち新人が、今までにない型破りなアイデアや表現方法を出しても、決
して頭からダメとは言わず、ていねいな指導と意見で、それらを最大に生かす工夫をし
て下さったのです。
何よりも描き手の個性を大切にし、私たちは伸び伸びと創作をすることができた
のでした。
また、これらの奔放な作品を良しとし、積極的に雑誌に掲載して下さいました。
私たちは、いくら作品を描いても掲載していただけなければ、存在できません。
この時代に生まれた多様な内容と表現方法が、その後の「マンガ」というジャン
ルを型作って行ったのでした。
丸山氏に育てられた新人たちは、ほとんどがマンガ界を代表する描き手となり、
そのマンガスタイルは、当然のように次の描き手たちに引き継がれて行きました。今日
のマンガ文化の繁栄は、この上にあるのです。
まだ保守的な考えが主流だったあの時代に、丸山氏の先見の明と判断力がなけれ
ば、私たちは存在せず、マンガ界もずいぶん違うものになっていたでしょう。
私は、手塚先生と丸山氏がいらっしゃらなければ、今のマンガ文化はなかったと
思っています。お二人は、戦後マンガの原点を語る時に、決して欠かせない方なので
す。
丸山氏は、「自分が育てたんじゃない。皆が勝手に育ったんだ」とおっしゃって
います。でも、私たちは、その場を提供して下さった氏がいらしたからこそと思ってい
ます。
類いまれな編集員、丸山昭氏に心から感謝いたします。
2017年1月 水野 英子
第5回 手塚治虫文化賞 特別賞受賞
2月7日のトキワ荘協働プロジェクト協議会ツイッターより