快読日記

日々の読書記録

読了『「思いやり」という暴力』中島義道

2016年03月05日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
3月4日(金)

『「思いやり」という暴力』(中島義道/PHP文庫)を読了する。

「この国では「他人を傷つけず自分も傷つかない」ことこそ、あらゆる行為を支配する「公理」である」(168p)

自らが正しいと信じることを訴え、異なる考えを持つ人と言葉を介して正面から対立し、議論する。
…なんてことはできないので(なぜできないのだ!)、意味のない言葉を緩衝材がわりに並べ、摩擦を避けて生きていく。
なぜできないのだ?
それは心身ともに傷つけたり傷つけられたりすることへの耐性のなさと覚悟のなさが原因だろう。
言葉を信じ、人間を信じて、血みどろかつ本物のコミュニケーションを図る、そんな中島義道の主張を“確かに理想だ”とは簡単に言い切れない、というのが正直な感想。
だって、「覚悟」がないんだもん。

わたしたち(敢えて「たち」と言ってみた)の「覚悟のなさ」を日本の政治や外交といった場面から指摘してるのが『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』(浅羽通明/ちくま新書)。
「原発反対!」や「民主主義ってなんだ♪ これだ♪」というデモに何万人集まった、というニュースがあったが、そこに「デモへ逃げるな! 実力を造れ!」(帯より)と訴えている。
本気で安倍政権に勝ちたいなら、歴史に学び、知恵を絞り、「勝つ方法」を考えろ、と。
デモに集う人々、組織を嫌い、「個人」を強調する彼らが、それゆえに力を持てないままでいる原因が“覚悟のなさ(&組織力のなさ)”であるという指摘に、今の日本人の甘えん坊っぷりとわたし自身の甘え体質がぴったり重なって、自己嫌悪でぐったりする。

その国民と国家は相似形をなす、って何かで読んだ気がする。
自分が生きる国が自分そっくりな国だなんて、想像もしたくない。
ちなみに、この際わたしは甘ったれたまま人生を終わりたい。
そしたら破滅するのかもしれない。
…ってことは?

だんだん妄想じみてきたので寝る。