さてさて、読書感想文。
いきなりだけど、今から100年後の未来って想像できます?
車は空を飛んでるでしょうか?
TVは立体表示されているでしょうか?
そもそも、地球はまだあるんでしょうか?
東京に大地震は来ているのか?
火星に人類は立ったのでしょうか?
はっきり言って想像できませんよね。
では、昔の人は、発展した現代を想像できたのでしょうか?
答えはYES というかウイなのです。
今回の感想文、タイトルは「二十世紀のパリ」作者はジュール・ヴェルヌです。
八十日間世界一周とか、海底二万マイルの作者と言えば「あぁ」とうなずく方も多いのでしょうか?
映画「バック トゥ ザ フューチャー」に出てくる科学者ドク=エメット・ブラウンン博士が大ファンで、
双子の息子に「ジュール」と「ヴェルヌ」と名づけたのを思い出しませんか?
この作品は、1863年、ヴェルヌが35歳の時に書かれた作品です。
時は1960年、舞台は花の都パリ
そこでは、文明が発達し、巨大な計算機が世の中を支配し、
機械が人間と入れ替わり何倍も巧みにものを動かし、
太陽の光と比較できる程の眩い明かりで照らされる大通り、
地下や空中を驚異的なスピードで走る列車、
文字や写真を一瞬で送信できる装置、
二万人はゆうに泊まれる巨大ホテル群、
道路は広場程の幅があり、馬車に乗るものは無く、ガスで走る車が埋め尽くし、
その結果大気汚染がひどいというような世の中!です。
社会では、教育金融総合公社が国民教育を助成する機関として設立されましたが、
工業の発展の名のもとに、芸術や文学を疎んじて、
数学や科学、機械工学などが重要視されてきました。
主人公のミシェルは教育金融総合公社の授賞式でラテン詩で賞を取ったことで、周囲の人から嘲笑の的になります、
なぜならラテン文学を志す者はミシェル一人だったからです。
学校を卒業したミシェルは後見人である叔父により、無理やり銀行で勤め、巨大な計算機を扱う担当にされます。
その後会う友人たちと、芸術を夢見、ともに励ましあいながらも巨大計算機と格闘する毎日を過ごします。
そんなある日、ミシェルはある少女に恋をします、それから少しづつ彼の環境が変化していきます。
パリでは人の心が空虚となり、恋愛感情や人間本来の感情までもが希薄になっていたのです。
そしていつか認められると信じていた文学や芸術はますます冷遇されます。
パリは大寒波に見舞われ、職も財産も失ったミシェルは、最後に残ったお金で、石油で作られたパンの代わりに、愛する女性のために一輪の花を買い、パリから出ていくために歩き出すところで物語はラストを迎えるのです。
かいつまんで説明するとこのような具合ですが、この本を読んだ感想はやっぱりヴェルヌはすごいということです。
(こんな表現では当てはまりませんが)
この作品は、あんたは見てきたんかい!というぐらいの精度で現代を描いています。
ファックスや、高架を走る鉄道、照明や自動車、そして大気汚染まで正確に描かれているのです。
発表当時は、「荒唐無稽すぎる」という理由で発禁だそうです。
科学や産業革命などを称賛する世の中を否定する内容で、どこも出版を拒否したのが理由のようですが。
その後100年以上たって、現代によみがえったこの作品、僕が特に気にかかったのは人間の心です。
すべてが、科学や技術の麗讃で、芸術や文学は全く相手にされない余の中、数字ばかりで、人の心も機械的になってしまっています。
政治家は二代目・三代目が占め、家族の心も引き裂かれすべてが虚しい世の中になっているのです。
これは、多分警告なんでしょうね。ヴェルヌの科学・技術に対する愛情を踏まえ、実益ばかりを追い求めている社会の現実、それを付きつめ過ぎるとこうなるよって教えてくれている気がします。
この本、発売当初に一度読んだのですが、最近なぜだかもう一度読んでみようと急に思ったんですよね。
この感想文を書いていて、ようやくその謎が解けました。
(こういう時に感想文を書いていて良かったと思うのです)
なんと主人公の姿が自分の姿に重なっているんですよね。
(ラストシーンではパンを買うかも知れませんが・・・・)
僕は今行っている仕事がやはり時代にマッチしてないのかな?って不安になります。
派遣切りや、環境破壊など、毎日の暗いニュースを見て、手に職をとか、地球環境にやさしい自然素材を使いましょうとか、さんざん言ってますが、やはり建築を志す若者が少ないんですよね。
機械やパソコンがもてはやされ、古臭い建築はさっぱりです。
(えぇ半分ひがんでますが・・・・何か?)
自分の生徒さん達が、頑張って人様の夢を叶え、伝統的な技術を後世に残してくれていると、確信しているのですが、このような社会情勢でも生徒が集まらない、就職率が悪いなど、なかなか結果が見えにくいので、大工の学校も存続が危ぶまれているのです。
でも、僕自身はこれしかできないって、思ってるんです。
昔ながらの伝統を守り、技術を伝え、自然と共に生きていく大切さをともに学び、
あまりに早い時の流れに、流されないように、
こんな時代だからこそ、世の中の流れに竿を立てて、しがみついて、守っていかないと、ヴェルヌの警告してくれた世界になってしまいますからね。
みんなのために100年後の大工の学校も残っているといいなぁ
おしまい。
いきなりだけど、今から100年後の未来って想像できます?
車は空を飛んでるでしょうか?
TVは立体表示されているでしょうか?
そもそも、地球はまだあるんでしょうか?
東京に大地震は来ているのか?
火星に人類は立ったのでしょうか?
はっきり言って想像できませんよね。
では、昔の人は、発展した現代を想像できたのでしょうか?
答えはYES というかウイなのです。
今回の感想文、タイトルは「二十世紀のパリ」作者はジュール・ヴェルヌです。
八十日間世界一周とか、海底二万マイルの作者と言えば「あぁ」とうなずく方も多いのでしょうか?
映画「バック トゥ ザ フューチャー」に出てくる科学者ドク=エメット・ブラウンン博士が大ファンで、
双子の息子に「ジュール」と「ヴェルヌ」と名づけたのを思い出しませんか?
この作品は、1863年、ヴェルヌが35歳の時に書かれた作品です。
時は1960年、舞台は花の都パリ
そこでは、文明が発達し、巨大な計算機が世の中を支配し、
機械が人間と入れ替わり何倍も巧みにものを動かし、
太陽の光と比較できる程の眩い明かりで照らされる大通り、
地下や空中を驚異的なスピードで走る列車、
文字や写真を一瞬で送信できる装置、
二万人はゆうに泊まれる巨大ホテル群、
道路は広場程の幅があり、馬車に乗るものは無く、ガスで走る車が埋め尽くし、
その結果大気汚染がひどいというような世の中!です。
社会では、教育金融総合公社が国民教育を助成する機関として設立されましたが、
工業の発展の名のもとに、芸術や文学を疎んじて、
数学や科学、機械工学などが重要視されてきました。
主人公のミシェルは教育金融総合公社の授賞式でラテン詩で賞を取ったことで、周囲の人から嘲笑の的になります、
なぜならラテン文学を志す者はミシェル一人だったからです。
学校を卒業したミシェルは後見人である叔父により、無理やり銀行で勤め、巨大な計算機を扱う担当にされます。
その後会う友人たちと、芸術を夢見、ともに励ましあいながらも巨大計算機と格闘する毎日を過ごします。
そんなある日、ミシェルはある少女に恋をします、それから少しづつ彼の環境が変化していきます。
パリでは人の心が空虚となり、恋愛感情や人間本来の感情までもが希薄になっていたのです。
そしていつか認められると信じていた文学や芸術はますます冷遇されます。
パリは大寒波に見舞われ、職も財産も失ったミシェルは、最後に残ったお金で、石油で作られたパンの代わりに、愛する女性のために一輪の花を買い、パリから出ていくために歩き出すところで物語はラストを迎えるのです。
かいつまんで説明するとこのような具合ですが、この本を読んだ感想はやっぱりヴェルヌはすごいということです。
(こんな表現では当てはまりませんが)
この作品は、あんたは見てきたんかい!というぐらいの精度で現代を描いています。
ファックスや、高架を走る鉄道、照明や自動車、そして大気汚染まで正確に描かれているのです。
発表当時は、「荒唐無稽すぎる」という理由で発禁だそうです。
科学や産業革命などを称賛する世の中を否定する内容で、どこも出版を拒否したのが理由のようですが。
その後100年以上たって、現代によみがえったこの作品、僕が特に気にかかったのは人間の心です。
すべてが、科学や技術の麗讃で、芸術や文学は全く相手にされない余の中、数字ばかりで、人の心も機械的になってしまっています。
政治家は二代目・三代目が占め、家族の心も引き裂かれすべてが虚しい世の中になっているのです。
これは、多分警告なんでしょうね。ヴェルヌの科学・技術に対する愛情を踏まえ、実益ばかりを追い求めている社会の現実、それを付きつめ過ぎるとこうなるよって教えてくれている気がします。
この本、発売当初に一度読んだのですが、最近なぜだかもう一度読んでみようと急に思ったんですよね。
この感想文を書いていて、ようやくその謎が解けました。
(こういう時に感想文を書いていて良かったと思うのです)
なんと主人公の姿が自分の姿に重なっているんですよね。
(ラストシーンではパンを買うかも知れませんが・・・・)
僕は今行っている仕事がやはり時代にマッチしてないのかな?って不安になります。
派遣切りや、環境破壊など、毎日の暗いニュースを見て、手に職をとか、地球環境にやさしい自然素材を使いましょうとか、さんざん言ってますが、やはり建築を志す若者が少ないんですよね。
機械やパソコンがもてはやされ、古臭い建築はさっぱりです。
(えぇ半分ひがんでますが・・・・何か?)
自分の生徒さん達が、頑張って人様の夢を叶え、伝統的な技術を後世に残してくれていると、確信しているのですが、このような社会情勢でも生徒が集まらない、就職率が悪いなど、なかなか結果が見えにくいので、大工の学校も存続が危ぶまれているのです。
でも、僕自身はこれしかできないって、思ってるんです。
昔ながらの伝統を守り、技術を伝え、自然と共に生きていく大切さをともに学び、
あまりに早い時の流れに、流されないように、
こんな時代だからこそ、世の中の流れに竿を立てて、しがみついて、守っていかないと、ヴェルヌの警告してくれた世界になってしまいますからね。
みんなのために100年後の大工の学校も残っているといいなぁ
おしまい。
それが知りたい
そうだったんですね、同業者の方とは存じませんで失礼いたしました。
この、追い風の中でも、職業訓練を受けようという若者は少ないみたいです。
全国的に見て、定年から年金までの空白期間を埋めるべく、定年を迎えた人が多数入校する事態となっています。
これも離職者を受け入れてきた、ポリテクなどの廃止の影響が大きいと思います。
厚労省はものの本質を見極め、年金や雇用対策など明確な方向性を見出してほしいものです。
とはいえ実は僕も現状の公共職業訓練の限界を感じている一人です。
だからとはいえ、民間で授業料を取りながら、建築や土木を学ぶというのも無理があるような気がします。
例外的に住友林業が訓練校を持って技能五輪など素晴らしい成績をおさめていますが、当の住友林業事態が、プレカットなどの省力化も進めいてる訳ですからね。
規矩術や継手・仕口の技法など、もっと伝統的な工法の素晴らしさをたくさんの人たちに解ってもらいたいと考えています。
スケッチアップや模型、もちろん従来の訓練を含め、新しい方向に常に種を撒き、芽が出た方向を育てていこうと思っています。
(そういう意味ではこのブログはやってて良かったな~)
そうすることで、伝統的工法を守るというのは、矛盾しているかも知れませんが、他のやり方はたぶん他の先生がしていると思うので、僕は僕なりの道を探していこうと思っています。
これからも、何でもよいのでアイディアを分けて下さい。
頑張っていきましょう。
私が規矩術に興味を持ったのは、土木の法のついた構造物が折れて連なっているときの型枠形状や真の体積が知りたくて検討していたときに、技能祭でとなりのテントに大工の訓練校が出品していた五輪の課題があり、それを作るのに規矩術が使われているということを知ったからです。水平線やそれに直な方向の法線が大事であることを学びました。
もちろん大工ではないのでCADを使って考えるわけですが、毎年出題される五輪やグランプリの課題を楽しみに展開図や図面を始めはJWで2次元で、後はAutoCADで3Dモデリングを製作しました。これらの課題はCADの技量を高めるためにはすばらしいテキストでした。
そこにGSUが出てきました。わたしはこのスケッチアップが規矩術と建築士とを繋ぐ架け橋になるのではとかすかな期待を持っています。
建築士はCADには慣れています。当然GSUも使いこなしている方もたくさんいます。しかし、規矩術のことはあまりご存知ではないようです。そこでスケッチアップで規矩術の生かされたモデリングを出し、関心を持ってもらう、知ってもらうというこができるんじゃないかと思います。そうすれば規矩術を生かすような、新しい発想が出てきはしまいかと期待するのであります。
将来、プレカットももう少し昔の工法に近いものも、木の特性を生かしたきめ細かなものもできないのかなと空想しています。
本当、おっしゃるとおりですね。
四次元的解釈・・・・・戴きです!
僕たちの役割は様々です、訓練・教育・文化の継承・・・福祉
今は、セーフティネットの役割が強くなり、なかなか厳しい状態です。
(当然、必要な要素なのですが・・・)
みんなが、木造の良さを理解してくれるように、微力ですが頑張っていきたいと思います。
世の中の百年後を予測するのは、
大変困難な事だと思います。
しかし、木造建築は千数百年の歴史があり、
百年後を予測することの出来る
構造だと信じています。
建築屋は三次元で解釈する能力が必要だと、
よく言われますが、木造の建築屋は、
四次元の解釈が必要だと思います。
すなわち、木造はその過去、現在と、
未来を想定しなければ、木の持つ能力を最大限に生かすことが出来ないからです。
先生の思いが百年後…遙か未来の建築に生かされていることを願っております。
頑張りましょう!
そうです、実際は1863年ですから、140年前に書かれた作品ですね。
そして舞台は1960年を描いているけど、実際にはもう少し先の未来かな?
家なんて、工場で作って現場に運べば良いんじゃね?
大工は宮大工だけでいいんじゃね?
って、無知な素人が県にもいますが、
ピラミッドの底辺が小さくなれば、頂点もしぼむし
木を使う事の意味やありがたさを理解していない、
ただただ経済効率と数字だけを言う、悲しい現実が世の中にはびこってます。
古きに拘る・・・・・・
そうですよね、誰かが守っていかないといけませんよね。
経験豊富な年輩の人が言うのではなく、僕たちが訴える事に意味があると思います。
頑張りましょうね
もしそうなら、本当に未来を見て来ていたのか?って内容なんですね。
普段全然読書に興味は無いですが、読んで見たいと思いました。
「世の中の流れに竿を立てて、しがみついて、守っていかないと」
この言葉、自分の中では正解だと思っているんですよね
こんな時代だからこそ、古きに拘る
きっと、古きに勝るものはないはずですよ