さてさて、本日は本当に久しぶりの読書感想文になります。
今回は「天国で君に逢えたら」飯島 夏樹 著です。
とその前にお知らせ、実は今回からライブドアの「本が好き」というサイトのメンバーに入り、書評(まぁそんなたいそうなものは書けませんが・・・)を書くことを条件に献本を受けられるというサービスを利用しております。
詳しくは「本が好き」のサイトを見て下さいね。
と言うことで、本題です。
先ずは著者の紹介 著者はグアムに住む世界的なプロウィンドサーファーでしたが、肝臓ガンに侵され、2004年6月に余命宣告を受けます、その病床の中で執筆活動を行い、この作品を書き上げました。
そして、そのわずか半年後の2005年2月に天に召されました。
この本を手に取ったときに、近年病気をテーマにした邦画が多数世に送り出されています、命をテーマにしていると言っても良いこのジャンルの類だと思っていました。
または、実際作者が亡くなっていると言うこともあって、読む前は自分の闘病日記なのかな?と思っていました。
しかし実際読んでみて、思ったことは先に書いた「病気モノ」(この言い方も不適切だけど・・・)一線を画すのは、これは作者の遺言でありながらフィクションといった不思議な形の作品だと思いました。
なぜフィクションなのに遺言でもあるのか?それはもちろん作者が現状を他人に置き換え代わりに物事を述べたりと言ったものでは無く、登場人物の生き生きとした姿や、南の島に代表される景色の描写などの、作品の中にある世界観・作風そのものが残された家族に対してのメッセージに思えてなりません。
作者は、いままで執筆活動とは無縁のマリンスポーツの世界にいました。そして8年連続でワールドカップに出場した唯一の日本人という事でそれなりの結果を残してきました。
しかし、ガンと診断され、その後しばらくの経過観察の中でうつ病となってしまいます。
それに追い打ちを掛けるように余命宣告を受け、普通なら目の前が真っ暗になり、絶望に追い込まれるところでしょう。その苦悩は作中の夜眠れなくなり、「一日がつながってしまう」という言葉に表されるのです。
しかし自らに与えられた時間を知ることにより、何かを形にしようと、入院先の国立がんセンターの中で取材を重ね執筆活動を行い、その結果ガン患者の心の叫びを代筆する 手紙屋 という奇妙な仕事を行う、「精神科医 純一」というキャラクターを生み出します。
純一の精神科医になるまでの経緯がこれまた、現実ではあり得ないようなことだけど、様々なキャラクターが織りなす世界が小気味良いテンポで不思議な物語を繰り広げていきます。
そして、純一の元に訪れる患者は、残された人へさまざまなメッセージを残すために依頼に訪れるのです。
話はぜんぜん違うけど、野球やサッカーなどの中継で、なぜ生中継が好まれるのでしょう?僕が思うのは、心のどこかに今現実に行われているということを意識することにより、臨場感が増すのだと思います?と思います。
それと同じでこの作品もリアルに、生と死を感じさせてくれます、それはやはり作者が末期ガンの中でこの作品を作り上げたと言うことは無関係では無いように思います。
確かに文章でも設定でも長年物語を綴ってきた人と違い、むちゃくちゃな設定や話の流れ、多くの矛盾点など上手とは言えない部分も見られます、只 本人のこういった状況が、そういう些細な事を吹き飛ばしてしまうぐらい、作品に見えない力を与えているのかな?と思ったりしました。
読み終えた感想は 作者の限られた命が作品に命を与え 又作者自身も作品から命を得ているように感じました。そして読んでいる僕自身にも作者とこの作品からも命を分けてもらっているような気がして止みませんでした。
おしまい。
天国で君に逢えたら
今回は「天国で君に逢えたら」飯島 夏樹 著です。
とその前にお知らせ、実は今回からライブドアの「本が好き」というサイトのメンバーに入り、書評(まぁそんなたいそうなものは書けませんが・・・)を書くことを条件に献本を受けられるというサービスを利用しております。
詳しくは「本が好き」のサイトを見て下さいね。
と言うことで、本題です。
先ずは著者の紹介 著者はグアムに住む世界的なプロウィンドサーファーでしたが、肝臓ガンに侵され、2004年6月に余命宣告を受けます、その病床の中で執筆活動を行い、この作品を書き上げました。
そして、そのわずか半年後の2005年2月に天に召されました。
この本を手に取ったときに、近年病気をテーマにした邦画が多数世に送り出されています、命をテーマにしていると言っても良いこのジャンルの類だと思っていました。
または、実際作者が亡くなっていると言うこともあって、読む前は自分の闘病日記なのかな?と思っていました。
しかし実際読んでみて、思ったことは先に書いた「病気モノ」(この言い方も不適切だけど・・・)一線を画すのは、これは作者の遺言でありながらフィクションといった不思議な形の作品だと思いました。
なぜフィクションなのに遺言でもあるのか?それはもちろん作者が現状を他人に置き換え代わりに物事を述べたりと言ったものでは無く、登場人物の生き生きとした姿や、南の島に代表される景色の描写などの、作品の中にある世界観・作風そのものが残された家族に対してのメッセージに思えてなりません。
作者は、いままで執筆活動とは無縁のマリンスポーツの世界にいました。そして8年連続でワールドカップに出場した唯一の日本人という事でそれなりの結果を残してきました。
しかし、ガンと診断され、その後しばらくの経過観察の中でうつ病となってしまいます。
それに追い打ちを掛けるように余命宣告を受け、普通なら目の前が真っ暗になり、絶望に追い込まれるところでしょう。その苦悩は作中の夜眠れなくなり、「一日がつながってしまう」という言葉に表されるのです。
しかし自らに与えられた時間を知ることにより、何かを形にしようと、入院先の国立がんセンターの中で取材を重ね執筆活動を行い、その結果ガン患者の心の叫びを代筆する 手紙屋 という奇妙な仕事を行う、「精神科医 純一」というキャラクターを生み出します。
純一の精神科医になるまでの経緯がこれまた、現実ではあり得ないようなことだけど、様々なキャラクターが織りなす世界が小気味良いテンポで不思議な物語を繰り広げていきます。
そして、純一の元に訪れる患者は、残された人へさまざまなメッセージを残すために依頼に訪れるのです。
話はぜんぜん違うけど、野球やサッカーなどの中継で、なぜ生中継が好まれるのでしょう?僕が思うのは、心のどこかに今現実に行われているということを意識することにより、臨場感が増すのだと思います?と思います。
それと同じでこの作品もリアルに、生と死を感じさせてくれます、それはやはり作者が末期ガンの中でこの作品を作り上げたと言うことは無関係では無いように思います。
確かに文章でも設定でも長年物語を綴ってきた人と違い、むちゃくちゃな設定や話の流れ、多くの矛盾点など上手とは言えない部分も見られます、只 本人のこういった状況が、そういう些細な事を吹き飛ばしてしまうぐらい、作品に見えない力を与えているのかな?と思ったりしました。
読み終えた感想は 作者の限られた命が作品に命を与え 又作者自身も作品から命を得ているように感じました。そして読んでいる僕自身にも作者とこの作品からも命を分けてもらっているような気がして止みませんでした。
おしまい。
天国で君に逢えたら
- 飯島夏樹
- 新潮社
- 420円
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ありがとうございます。