1/21 日曜日 11時 自宅
家を9時40分に出発して、途中ガソリンを入れて娘ちゃんの
運転で、行ってきました。
「何も持ってこんでいい」とふーちゃんが、言ったので前日に
スィートポテトを作ってそれを持って行きました。
パパのお姉さんは、同居の姑さんが肺炎で入院したので、、、
こられず、弟さんは忙しいのか?来られませんでした。
だから、義兄の嫁のふーちゃんと息子君二人と私と娘ちゃん
だけでした。
いつも綺麗に片づいたお家で、かえってガランとした感じがして
寂しい気がします。
仏間に義兄の笑った顔の写真にユリと赤いチュウリップが飾ら
れているのも寂しい、、、、
いつも笑顔で迎えてくれた義兄は、もういないんだ。。。。。
ふーちゃんと二人で江原啓之さんに聞いてみたいね(^_^;)
うちのパパと今何をしているか?
将棋かな?(^ワ^)
娘ちゃんと車の中で、「パパがいてお兄さんが亡くなったら泣
いたかな?」って
そりゃ、泣くでしょ。。。
義兄は、私達の前では涙を見せず、家でふーちゃんと二人で
泣いたとふーちゃんがいっていたけど、、、
私の兄貴は、私達の前で泣いていた。。。。
娘ちゃんは、「おっちゃんは、感情を表す人だからでしょ」
親兄弟が亡くなったら、感情を人前で出してもいいと思うけどなぁ
お寺さんの住職は、おじいさんが居た時からの住職がまだ若い
のに亡くなって、兼任の住職がこられた、、、
時間はきっちりと守ってこられる、お経の後は説法を少しされて
その話は、百ヶ日について、、、
「百ヶ日は、お釈迦さん仏教を広められたインドではありません
中国などを経て、日本に仏教が広まって、、、、
インドなど小乗仏教で、日本は大乗仏教になったのです。
小乗と言うのは、自分の為、大乗とは、全ての人の為に説か
れた教えであります。
一般に百日過ぎて、悲しみの生活から落ち着いて区切りを付
ける為の法要なのです」
と言うような事を言っていました。
昨日の事のようで、ずっと前の事のようで人の気持ちに区切り
は付けられる物ではありません。。。。
そうそう、亡くなった住職も心筋梗塞だったそうで、まぁよう肥え
てたからねぇ~
それで、お棺の大きいのでもぎゅうぎゅうで底が抜けそうだった
そうで、火葬場の釜に入る大きさもあるからね、
東京には、釜の大きいのがあるそうです。
それで、その亡くなった住職はお棺に入れた後も血が出ていた
のだそうで、、、成仏の相じゃない????????
人の為にお経を読んでいた人の最期がそれでは、、、
そのお経は有り難くないとおもいますけど、、、
住職は、次の法要があると言う事で早々に帰っていかはった。
12時なので、五人でうちの車でファミレスに行って食事をして
帰りました。
今年は、私の父と長女の二十三回忌が三月にあるけど、、、
兄弟揃って、お墓参りだけで良いと思うのです。