こんちゃっす。
キスオカントクです。
私は普段、お年寄りをお世話するデイサービス施設に絵の先生(無免許)
として通っているんですが、
時々そのお年寄りと職員さんが歌を歌ったりすることがあって、
それを絵の修正をしながらボンヤリ聞いていると、なぜだかえらく魂が震わされて
涙が出てくることがよくあるんです。
この理由をいろいろ考えてみたのです。
とりあえず似たものはないかと記憶の引き出しを探っていると、
同じようにカントクがなぜだかえらく魂が震わされることとして、
「小さい子供が走る姿」がありました。
この共通点をなんとか言語化すると、
音楽に合わせ声を出したり、地面の上を走る様子は
両者は「無心」であり、その純粋さに魂が震わされたのだ。、
ということでしょうか。
これと正反対のものとして、やることが定まらず次々に別のものに手を出して
あたふたウロウロする人の様子が挙げられます。
まったく見苦しいものだ、こんな奴いたな…誰だっけ…
オレじゃん!!!!
次々に別のものに手を出して
あたふたウロウロしてる奴、オ・レ・じゃん?!!!!!!
うわあああああああああああああっ!!!!!
「無心」か…。
ありがとう「無心」。オレのみっともない様子を気づかせてくれて…
しかし、「無心」って、何か用がある時に「無心」になると、
その中に「用」が入ってその透明さを失い
「無用心」
になっちまうな…と思うカントクは「無心」から
程遠い存在で、何か荒野にでも立ちつくしているかのようなのです。
そんな哀れな心を癒すため心臓は悪くないのに「救心」でも
飲んで寝ます。
じゃあ、アディオス!!