Return to very Basic !
これを日本語に置き換えると、
「基本の基本に帰れ!」となるが、より意訳すると、
「己の基盤とする地点に立ち戻れ!」
あるいは、「より根源的なところから発想しなおしてみよ!」
ということになる。
(注意書き: 原理主義に帰れ、という意味には決してならないから注意のこと(笑い))
我が国の子は(もしくは「私が子供だった時代は」か?)学校の先生から繰り返し「基本を忘れるな」と言われたものである。 スポーツでも習い事でも、その「基本」は変わらない。なのに、どういうわけか、世の中、大人のビジネスの世界では往々にしてこの「基本を忘れるな」が忘れられている。
思えば、コロナウイルスがはやり始める前、我々は安定した長期政権下で長期・継続的な経済成長を謳歌していたのだ。オリンピック景気であったのは間違いないが、いつの間にか、経済成長することが当たり前のような気になっていた。そしてそれに伴って、東京一極集中といわれるここ50年以上続く現象も、相変わらず続いてきた。片方では地方再生と言いながら、同時に「やっぱり首都東京の経済がしっかりしてないとなぁ」とか、あるいは皮肉なことに、地方再生そのものが中央官僚の発想に左右されたり。
昔のやり方、考え方がすべて良いもの、肯定されるべきものでないのは当然のことながら、例えば、生活の暮らしやすさ、心と体の適度なバランスといったものは、そうそうその根本、基本が変わるものでもない。
フォードがフォードT型を量産し、ジョブズがパソコンやスマホを普及させたのは、どちらも実は、あの広大な北アメリカの国土にあって、人と人の距離を縮めたいというのが発想の根本にあったと言っていい。フォードT型は地理的な距離を、パソコンやスマホは、情報の(格差や伝達時間という)距離を、それぞれ縮めて、世界を一変させたのだ。(フォード「藁のハンドル」を読むと彼の発想がよくわかる。) アメリカでは、自動車の普及でそれまでの時間距離が大幅に縮まった。パソコンによるEメールの普及で、Eメールは男女の仲を取り持つようになり、実用的な時間の中で超遠距離恋愛も可能になった。
これらを倣った日本でも当然自動車は普及し、パソコンやスマホの普及は言うに及ばずだ。それでも、日本の場合、事情がかの国とは些か異なる。自動車はもっぱらレジャー用途となり、通勤にはあまり用いられない。(交通事情が交通事情だ!) パソコン+インターネットによってEメールが普及し今やごくごく普通の連絡手段になったが、相変わらずオフィスは都心に集中し、会議は顔を合わせてやるのが主流であるというか、少なくともコロナ禍前までは主流であった。(働き方は、今回のコロナ禍によってやむなく始めたリモート勤務によって、少し変化の兆しが出てきた。)
ここで立ち返って考えてみよう。本来、職と住(職場と住まい)は歩いて通える程度の距離、せいぜい自転車で数十分の距離くらいまでしか離れていなかった。交通機関が貧弱な昔にあっては、そうせざるを得なかった面もある。が同時に、日々の生活の質、心とカラダ、家族のつながりといったことの仕事とのバランスを考えれば、その程度の距離感であるのが理想的ともいえる。ところが、日本の経済の発展は「中心から放射状に」(「丸の内から放射状に」といってもいい)発展してきたものだから、いつの間にか通勤電車で1時間半かかっても、その苦痛を耐えるのが当たり前になってきてしまった。(日本人の性向として、中心がないと心休まらないところがあるようだ)
コロナウイルス対策で変わったといわれる、首都圏の仕事事情。
生活と仕事の基本に立ち返ってよくよく考えてみれば、つまり、一人の人間が日中仕事をし、その日のうちに自宅に帰り夕食を家族と一緒に楽しめるという「心地のよい生活」を基本に据えて考えてみれば、IT技術と公共交通門を駆使すれば職場と住まいを「心地のよい距離」に近接させることは十分可能なのだ。(すでに事務所分散などを初めている新興企業もある。)
メリットは多い。
1)働く者のメンタルによい。ということは家族も暮らしよくなる。
2)都心の事務所スペースがより小さくて済む(事務所の賃料が不要になるし、いずれは㎡当たりの賃料も低下してゆくかもしれない。反対に、一人当たりの事務スペースをより広くゆったりできるかもしれない。)
3)(音声+画像の)電話会議にすれば、きっと無駄な会議が減るに違いないし、会議にかかる時間も短縮されるかもしれない。会議時間が減った分、会議の準備をより入念にできるし、そもそもリモートオフィスでメンタルが改善されれば、発想が豊かになって、その分会議の議論の質も上がるかもしれない。(会議の質は主宰者と参加者の質に大きく依存しているので、すべての会議で質が上がるは限らないが)
4)家族の事情で地方の埋もれていた才能を、発掘できるかもしれない。もっと言えば、才能さえあれば何も東京に移住する必要はないのかもしれない。
一番のメリットは、事務所と個々の従業員の働く場所を分散することで、新たな人間関係の広がりが生じること。さらに、一般事務費がかなり削減できて本来の製品開発投資に振り向けられること。さらに、一人当たりの労働生産性が上がるから(もちろん、朝家を出てから帰宅までの時間で考えて、だ。通勤時間が劇的に短くなるし、メンタル面の改善もあるのだから。)実質賃金が上昇したのと同じ効果を得られること。
一方で、残念ながらこういった動きに追随できない企業も出て来よう。例えば、
-1)社長や役員に理解がなく、というか、ITのメリットを実感として分からないから従来型に固執してしまう会社。(年配方の中に遠隔会議だと自分の存在感が薄れるのではないかという危機感を抱く向きもあろう)
-2)従業員の顔が見えないと仕事ぶりがわからないではないか、部下の公正な評価ができないではないか、と疑う向き。(新し試みのデメリットは探せばいくらでも見つかるものだ)
-3)IT投資に資金を避けない企業。
-4)システム部門とは、会計システムのお守り役と同義という企業。(まっ、こういうケースでは、電子会議システムや通信技術は外注すればすむ話ではあるが)
(これらのケースに一番あてはまりそうなのが、一部の地方自治体かもしれない)
さらに、本社機能の首都圏脱出を考える会社が出てくるかもしれない。その場合も、IT技術と発達した安価な交通網は大いに役立つ。本社機能を、首都圏に必置の機能と、首都圏周縁部においた本社に置けばいい機能とにうまく分類できれば、本社の首都圏脱出も可能になる。
首都圏に必置の本社機能は、例えば、広報渉外機能、官庁折衝機能。調達部門の調査部隊。
反対に、首都圏周縁部にあっても十分機能する本社機能は、会計機能、監査機能、総務機能の一部、調査企画部門、システム部門。
首都圏、周縁部どちらにあってもいいけれど、居所そのものを慎重に選択せざるを得ない機能としては、①社長室、②役員室、③秘書機能。
本社の本質的な意味からいえば、社長(最高意思決定権者)のいるところが「本社」なのだから、部門としての本社機能を周縁部に移転させて本社を移しましたと言ってみても、社長自身が都心から離れず相変わらず都心にオフィスを構えてしまうと、会社の本社機能各部門の自ずとまた都心に戻ってきてしまう。そうなると、本社機構なんて詰まるところ「官僚組織」だから、やれ事務所が狭いだの、不便だのという不平に付き合わざるを得なくなり、元の木阿弥になりかなない。事務所経費の削減は実現できないし、かえって移動時間と交通費が膨らんでコストが上がるし、迅速な意思決定ができず効率は下がるし、ということになりかねない。
今日の締めくくり。
ウイルス禍自体はあってほしくはない出来事だけれど、この不幸な出来事を貴重な機会ととらえて、Return to very basic ! いま一度、自らの立ち位置や存在意義、機能について根本の根本から考えなおし、見直してみてはどうだろうか。
筆者もこれを書きながら、自分もそうしなければと意識を強く持った次第。