昨日の書き込みの続きです。釈尊のいう「怠けない」ということはどういうことなのでしょう。
古い涅槃経では、この前段として、無常の世だからこそ・・・と述べられています。
そして、新しい涅槃経では、正しい教えを怠りなく行うことを教えています。
・・・・とすると、私たちは、放っておくと「怠けやすい体質」を備えていることを逆説的に教えてくれているのだと思います。
また、無常だからということは、
① 常に変化し待ってくれないので、今のうちに・・・・という刹那の意味と、
② 常住のものは無く、うのみに身を任せていてはダメ。真に正しいことに向かって努力すべし。
ということが、含まれているのだと思います。
そして、その正しい教えは私(釈尊)自らが示したものであるので、よく覚えておき、実践することは、私が生きていることと同じ(常住不変)であると説くのです。
その教えこそ、世の中の真理を見極める智慧(正見)であり、それらの真理に基づく生き方(八正道)であると涅槃経では説いているのです。
確かに「怠けやすい体質」って持っていますよねぇ。うのみに身を任せて、怠惰に向かう性質を・・・。
安易に、楽に、手早く、労力を使わずに、
とりあえず、その場の楽しみ(享楽)が得られればいい。
そして、できれば自身のリスク(お金、体力、評判)を負いたくない。
正に、現代社会が向かっている方向性ではないでしょうか。
先日、原子力発電反対の運動を進められてきましたK先生のお話を伺いました。
化石燃料には限りがある。新しいエネルギーとして、原子力が注目されて、核開発の機運が高まり、研究者も多く集まるようになった。開発に参入する大手企業、関連企業が肥大化し、高度成長の波に乗った。
一方で、安全性への研究も進むが、どうしても不安を抱えながらの発進に踏みきらざるを得なかった。とまどいをぬぐえない研究者は、離れて行った。K先生もその一人だったそうな。
推進派は、盛んに安全性をPRした。けれども、安全といいながら、原発の予定地は人里離れた土地が選ばれている。なぜ、都会ではダメなのか。それは、心ある科学者ならばわかっていた。しかし、その矛盾を合理的に説明できる手立ては、どう考えてもみつからなかった・・・と、K先生はおっしゃる。
しっかりとした安全性への確証が得られないまま、見切り発車してしまった。
そして、その流れはなかなか止めることができなかった。・・・・と。
これって、怠けやすい体質そのものですね。
将来のリスクに目をつぶって、目先の利益に走る!
現代社会のみならず、お釈迦様の時代もそうだったのかもしれませんね。
文明の度合いが違いますので、内容は大きく違ってきていると思いますが、人類の怠惰になびく性質は変わらないのかも知れません。お釈迦様は、この体質そのものに警鐘を鳴らしていたのかも知れません。