ダライラマ講演に先立ち、全日本仏教徒会議が開催されました。
この大会は2~3年に一度、各県の持ち回りで行われるもので、日本の仏教界の一大イベントと言えます。現在の全日本仏教会の会長でもあり、本大会総裁は、曹洞宗管長大本山総持寺貫主大道晃仙猊下で、両日ともに出席され、ご挨拶いただきました。
基調講演は、駒沢大学前総長奈良康明先生による「草の根的対話の提唱」という内容でお話し頂きました。
奈良康明先生
論旨は、
「仏教の社会観は『縁起の社会観』とも言え、個と全体の関係は、単なる個の集合体が全体なのではなく、個同士の関わり合いの総体が全体である。関わり合いを助けるカギとなるのが慈悲であり共感、共生である。この具体的な実践が草の根的対話である」・・・というもの。
続いての分科会は4っつ。
第1分科会 「アジアの平和と仏教徒の役割」
~日本仏教青年の可能性を求めて~
提言者ー坂本観泰、座長ー上田紀行、
パネラーーギャナ・ラタナ・テーラ、クンチョック・シタル、本多静芳
第2分科会 「少子高齢化社会と寺院のあり方」
提言者ー中島隆信、座長ー志村碧涯
パネラーー平野仁司、藤原成一、上川陽子
第3分科会 現代社会における仏教葬儀のあり方
~本来の機能を失いつつある現代の仏教葬儀~
提言者ー佐藤功岳、座長ー川上敬吾
パネラーー三浦公正、小谷みどり、芝崎成光
第4分科会 生命倫理と仏教徒に問われること
~人の一生が始まる瞬間と死ぬ瞬間はどの時点だろうか~
提言者ー田中雅博、座長ー三宅守常
パネラーー柴田寛彦、佐藤雅彦、中野東禅
私は第3分科会に記録担当として参加しました。
第3分科会の面々
提言者の佐藤師は、横浜市の住職(日蓮宗)。本来、祈りの場であるべき葬儀が、営利目的の葬儀社主導となり、僧侶が利便さのあまりに間違った方向に甘んじてしまっている。寺院のリーダーシップを発揮すべきネットワーク(市仏ネット)を立ち上げた経緯を発表し、僧侶・仏教界が、社会に向けて発信する必要性を提言された。
パネリストの小谷氏は、第一生命経済研究所に勤務し、生活設計論を専門として現代葬送問題に詳しい。氏の分析によれば、僧侶の仏教伝統儀礼の意識と、一般の葬儀ニーズとの間にズレがあり、寺の存続も危うく、檀家制度そのものの見直しも必要と語る。問題は、僧侶と葬儀社のレベルの業界内の問題ではなく、社会全体が何を求めているかを多角的に考えて見直す必要性を強調された。
また、芝崎氏は、県内の葬儀社を経営する傍ら、全日本葬祭業組合の理事を務める。氏は、現代的な諸事情からか、古来の葬送文化の威厳や価値観が失われてしまったことを嘆かれた。そして、僧侶が葬儀の意味や大切さの説法を行ってほしいと懇願された。それだけ、話をされない僧侶が多いことを告げた。僧侶不要、葬儀無用の風潮に対して、葬儀社と僧侶が話し合いの場を持つ必要を話された。
三浦師は県内のご住職(時宗)。利便性に流れる葬儀が形骸化していることに危機感を持ち、宗教の持つ心性を取り戻すべきことを強調された。信者で無いのにキリスト教会で結婚式を行うことに、批判する資格はないはず、なぜならば、信心が無くファションで仏式の葬儀を行うことに甘んじている僧侶も同罪だからと指摘する。
以上の提言者・パネラーのご意見をもとに、活発な話し合いが行われ、フロアの一般からも貴重な意見や質問が出された。
座長の川上師は、横浜市仏教連合会の会長を務める。まとめとして、宗教意識の低下した現代において、葬儀社の助力は借りながらも、遺族の心を癒し、安心を与える主役は僧侶である、そのような危機感と問題意識を持って対応すべきであることを述べられた。
他の分科会においても、有意義な会であったとの報告がありました。この日のために、全国から、宗派・年齢を超えて集まり、明日の日本仏教のために熱く語る姿を目にして、何となく励まされたように感じたのは私だけではなかったことでしょう。
終わってからのエピソード
①ダライラマのチケットを求めて、ネットでチケット代が数倍につり上がった事例があったとか。。。
②来賓予定の県知事、中田横浜市長、そして数日前までに極秘裏で出席が予定されていた小泉前総理が、ダライラマ警護の関係で、急遽取りやめになったとか。。。。
とにかくスケールの大きな大会でした。関係の皆様、お疲れ様でした。