とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
いじめ問題
いじめによる自殺が報道されています。
昨年、遺書を書いて学校で自殺した北海道の6年生のことは、大変なショックを受けました。一年も経ってから報道されるようになったのも異常です。
私は、高学年を受け持つことが多かっただけに、この少女の心情を察するに、大変痛ましいものがあります。
ここ数日は、先生の発言によるとされる中学生女子の自殺について、報道されています。
私は、報道関係者の姿勢、そして、社会の見方について提案があります。
1.命の重さについて
もちろん、先生の教育姿勢、そして学校、教育委員会の対応の仕方は追及されなければなりません。ところが、あまりにもそちらばかりにウエイトがかかり、命を大切にすることが忘れられているように思えてなりません。人は一度、生を受けたら、どんな場面に遭遇しても強く生きる手立てを確立していかなければなりません。それはつらいことがあるでしょうけれども、最も身近な人々に相談することや、明けない朝は無いこと、何とか克服する手立てはあること、きっと味方になってくれる仲間はいるということを教えてあげなければなりません。学校は悪い、先生がいけない報道に偏り、「可哀想」感が助長されて、同様の渦中にある子が、同情を得んがために同様の行動に走ることが懸念されます。
仏教で説く、無常・無我の道理のように、命の尊さをまもる手立てについて子供たちに呼びかけていただきたいものです。ニュースは子供も見ています。
2.いじめが悪いことの呼びかけ
もちろん、先生の教育姿勢、そして学校、教育委員会の対応の仕方は追及されなければなりません。ところが、あまりにもそちらばかりにウエイトがかかり、いじめが悪いことの認識が薄まっていく懸念を感じています。
教育体制に問題はあったにせよ、人の痛みを無視していじめの行動に出てしまう一人ひとりの言動を反省しなければなりません。誰かが気がつき、誰かが一人でも優しい心を伝えることができたなら、悲しい結果は起きなかったかも知れません。このことは、子供たちの周りだけの問題だけではありません。先生も含め、大人たちも社会全体が、身近な人権擁護に関心を持たなければいけません。そういう報道の姿勢を望みます。
3.守る事の優先順序
報道の内容を聞く限り、先生の教育姿勢、そして学校・教育委員会の対応の仕方には問題があります。何を守ろうとしているのか優先の順序が違うのではないでしょうか。他の生徒の人権、先生方の保身、教育機関としての威信、保証問題への懸念なのでしょうか。先ず第一に優先すべきは、上の二つのことです。そのために、情報の開示、謝罪の対応をすばやく適切に行うべきです。全国の教育現場の氷山の一角であることを理解して、いじめの抑止に努めなければいけません。
-------------◇--------------------◇----------------
うちの子が、かつて中学生の時、意地悪をされていた時期があります。その時、ある同級生がその実態を見て、「そういうことは止めろよ」といじめる子に注意してくれたことがあります。そのことで、いじめは収まり、うちの子も勇気が出てきたように思いました。いじめの現場を見る機会が最も多いのは、仲間の子たちなのです。直接言えなくても、家で家族に話し、他のご父母から学校に伝わることもあります。そういう多くの力が必要なのです。
私も担任時代、アンテナを張り日常の様子を敏感に感じようとしていましたが、元気で活発な子が、陰湿ないじめを受けていたことを見逃していたことがありました。この子はだいじょうぶという先入観があったのだと思いますし、いじめとはわからないように巧みに行う性質があるのです。また、いじめに遇う子は、自分の弱点を告白するのが辛くてなかなか誰にも言えない背景があるのです。それから、先生の中には残念ながらこのようないじめの問題に無頓着な人もいるのです。そういう意味では、先生の再教育・研修、免許更新システムには賛成です。
昨年、遺書を書いて学校で自殺した北海道の6年生のことは、大変なショックを受けました。一年も経ってから報道されるようになったのも異常です。
私は、高学年を受け持つことが多かっただけに、この少女の心情を察するに、大変痛ましいものがあります。
ここ数日は、先生の発言によるとされる中学生女子の自殺について、報道されています。
私は、報道関係者の姿勢、そして、社会の見方について提案があります。
1.命の重さについて
もちろん、先生の教育姿勢、そして学校、教育委員会の対応の仕方は追及されなければなりません。ところが、あまりにもそちらばかりにウエイトがかかり、命を大切にすることが忘れられているように思えてなりません。人は一度、生を受けたら、どんな場面に遭遇しても強く生きる手立てを確立していかなければなりません。それはつらいことがあるでしょうけれども、最も身近な人々に相談することや、明けない朝は無いこと、何とか克服する手立てはあること、きっと味方になってくれる仲間はいるということを教えてあげなければなりません。学校は悪い、先生がいけない報道に偏り、「可哀想」感が助長されて、同様の渦中にある子が、同情を得んがために同様の行動に走ることが懸念されます。
仏教で説く、無常・無我の道理のように、命の尊さをまもる手立てについて子供たちに呼びかけていただきたいものです。ニュースは子供も見ています。
2.いじめが悪いことの呼びかけ
もちろん、先生の教育姿勢、そして学校、教育委員会の対応の仕方は追及されなければなりません。ところが、あまりにもそちらばかりにウエイトがかかり、いじめが悪いことの認識が薄まっていく懸念を感じています。
教育体制に問題はあったにせよ、人の痛みを無視していじめの行動に出てしまう一人ひとりの言動を反省しなければなりません。誰かが気がつき、誰かが一人でも優しい心を伝えることができたなら、悲しい結果は起きなかったかも知れません。このことは、子供たちの周りだけの問題だけではありません。先生も含め、大人たちも社会全体が、身近な人権擁護に関心を持たなければいけません。そういう報道の姿勢を望みます。
3.守る事の優先順序
報道の内容を聞く限り、先生の教育姿勢、そして学校・教育委員会の対応の仕方には問題があります。何を守ろうとしているのか優先の順序が違うのではないでしょうか。他の生徒の人権、先生方の保身、教育機関としての威信、保証問題への懸念なのでしょうか。先ず第一に優先すべきは、上の二つのことです。そのために、情報の開示、謝罪の対応をすばやく適切に行うべきです。全国の教育現場の氷山の一角であることを理解して、いじめの抑止に努めなければいけません。
-------------◇--------------------◇----------------
うちの子が、かつて中学生の時、意地悪をされていた時期があります。その時、ある同級生がその実態を見て、「そういうことは止めろよ」といじめる子に注意してくれたことがあります。そのことで、いじめは収まり、うちの子も勇気が出てきたように思いました。いじめの現場を見る機会が最も多いのは、仲間の子たちなのです。直接言えなくても、家で家族に話し、他のご父母から学校に伝わることもあります。そういう多くの力が必要なのです。
私も担任時代、アンテナを張り日常の様子を敏感に感じようとしていましたが、元気で活発な子が、陰湿ないじめを受けていたことを見逃していたことがありました。この子はだいじょうぶという先入観があったのだと思いますし、いじめとはわからないように巧みに行う性質があるのです。また、いじめに遇う子は、自分の弱点を告白するのが辛くてなかなか誰にも言えない背景があるのです。それから、先生の中には残念ながらこのようないじめの問題に無頓着な人もいるのです。そういう意味では、先生の再教育・研修、免許更新システムには賛成です。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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そういえば、我々が数十年前に体験したE寺でもありましたね。今にして思えば懐かしい体験ですが、いじめと躾の境界線上におかれた状況でしたねぇ。
あなたの仰せの如く、教師の再教育、免許の更新制度は必要なのでしょうね。
弟子を教育・指導するのは、現代では師匠の側に課題が山積なのでしょうか。
ところで、来週27日に、H.T師の寺で特派布教あり、講師は北海道のS.T師。前日にS.O師、S.A師、D.I師、そして、H.T師と私の県内同安居者が終結します。次の日お話しできるのでしょうか?(笑)
二度とこのような悲惨な事件が起きないように、と望むのであれば、被害者の人権を傷つけてまでしながら生々しい記事を報道するよりも、もっと信頼できる心理学者とか教育者など専門家の人々の話を聞いて、その防止策を報道してほしい、と思います。少しぐらい時間が経過してからでもよいのです。
とにかく、事件現場の記事など生々しく伝えるぺきでないと思います。
報道機関は、世の中を善くすることを念頭に於て、少しでも社会や読者の心が明るく力づけられるような報道に力を注いでほしいと願っています。
コメンテーターと言われる人の評論も、それらの視聴率稼ぎの報道姿勢の、インパクトの助長として使われているように感じます。
教育学はもちろん、心理、倫理、哲学・・・、宗教家の出番もあってほしいです。
私目はその日の朝羽田から帰山となります。25~26日に掛けて、北海道伊達市にて先住忌があり、翌28日は当山の開山忌ですので・・・・。12月6日は出席されますか?
こちら、高い山から紅葉が始まり28・29日には旧和泉村で「紅葉まつり」が開催されます。
前の記事の誤字で苦笑してしまいます。集結しても、27日の法会には出ないで、きっと前晩で終結すると思ったのでしょう(笑)。
12月6日の件は、考慮中。近くにいるだけに、出ないと・・・と思ってはいます。