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熊野仏蹟参拝③熊野大社

 今回のメインは熊野ですので、仏蹟とはいえ、神社に詣でないわけにはいきません。もともと平安期ころから始まった本地垂迹説により、仏(本地)が民衆を救済するために権(かり)にこの世に現れた(垂迹)ものを神としてきたので、仏蹟といえるのでしょう。この権現信仰は、中国や東南アジア諸国での観音信仰、菩薩への憧憬と似ているかも知れません。もともと仏教では菩薩がその役割(民衆救済)を担っていますが、日本では仏菩薩として仏と混在して「ほとけさま」として受け取られているようです。その代わりに、仏事は仏で、慶事は神で行われる風習として根付き、背後に先祖を守る仏に支えられながら、普段はより生活に身近な位置に権現としての神を置いていたのかも知れません。ですので、明治維新の廃仏毀釈で神に統一しようとした時に、死者・先祖崇拝としての仏・寺院を切り離すことができず、民衆の大きなうねりによって仏教が存続されたとも言われているわけです。

 話が発展してしまいました。さて、熊野権現は本宮・速玉・那智の三社から成っています。

     熊野本宮(ほんぐう)大社 

冒頭の写真は本宮の入り口です。各社、大木に囲まれ石段が続き、とても厳かです。
 

 本殿の左には見慣れた紋所の幟幡がありました。サッカー日本代表のマークです。お守り・おみやげコーナーでは、サッカー関連のグッズが沢山ありました。

      熊野速玉(はやたま)大社
 こちらは勝浦の海岸近くの速玉大社です。ここはめずらしく階段がなく平坦な境内です

 

 。「なぎの木」というご神木が見事でした。

 最期に食べ物の話を。こちらでは、階段の上り下りもきつく、歩く距離も長いので、各所におだんごなどの甘み物が多くあります。つい一口という訳です。それと、熊野牛という、肉料理も名物になっていて、ほとんどの食事に出されていました。また、勝浦はクジラの本場でもあるとか。鯨づくしの昼食も食べ、意外な食文化にふれて来ました。(完)
 

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
権現の意味 (りょう)
2005-11-26 23:08:07
権現の語源は「権(か)りに現れたもの」なんですね。はじめて知りました。日本の神仏の文化って豊かですよね。そうした豊かさはいつまでも残ってもらいたいものです。

お疲れ様でした。
 
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