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日立から帰路へ

最終日は日立です。電機産業の街として名高い日立は、太平洋の海岸に面しています。最終日に海を見ることができました。

流石に産業の街とあって、車、鉄道などの交通網はしっかりとしています。
 
JR常磐線日立駅の向こうはすぐ海が広がっています。鉄道線路脇にはコンテナのターミナルがありました。

駅前には、「日立」の看板があちらこちらに目を引きます。
            
 

いよいよこの駅から12日間の旅を終えて帰路につきました。交通は特急「スーパーひたち」です。上野までおよそ1時間半です。
 

     

長いようなアッという間のような、茨城県の巡回の旅でした。関東平野はどちらかというと捉えどころがなく、栃木、埼玉、群馬、茨城・・・が、どのような位置にあってどのような特色有る地形なのかよくわかりませんでした。今回、この茨城を訪れて、緑豊かな土地で、しかも山も海も湖も美しく、産業も豊かで全国的にも名高い名産品の数々があること、学園都市、原子力施設など科学技術の先端を行く地であることなど、多くを知ることができました。

本来の職務はもちろんながら、自然や人々とのふれあいからも多くのことを学ばせていただきました。関係各位の方々にこの場を借りて御礼申し上げます。

最後に、最も心に突き刺さったことを記してまとめといたします。それは、霞ヶ浦の内陸側の端の土浦で、予科練記念館を見学したときのことです。
    
      予科練記念館「雄翔館」中央の銅像は山本五十六 長官
かつての航空隊の訓練地

特攻隊員の、遺品がならぶ中にあったある隊員の遺書に次のような言葉がありました。

「同事の精神、我等もまた続かん」

仏教で説く同事のみおしえは、いたみを分かち合う菩薩の心として重要な精神で、私たちが説き明かしているテーマでもあります。その「同事」がこのような場面で使われていたとは・・・・。心に響きました。

平和のための同事にしなければいけません。

     茨城レポート




コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
行基菩薩のようですね (ミーハー亮昌)
2009-07-08 20:46:45
「同事の精神、我等もまた続かん」
平和のための同事にしなければいけません。まさにその通りです。同事は・・他人がやろうとしている善いことを成し遂げられるよう助けよう、の意味ですが、この戦争は善いことと思わされていた、否、自発的に思おうとしたのかも知れない。

若くして、強制され、死地に赴く特攻隊員にとって、死ぬ意味を見いだしたかったのでしょう。辛い時代に生きた、そして死んだ(殺された)若者たち。

先日の団参で長野の「無言館」で絵画を見ました。志半ばで戦場に散った画学生の作品です。作品から、無言無念の思いが伝わり、檀家さんたちの何人かは涙していました。

生まれる時を選べない、生まれる国も選べない。思うようにならない。苦。
比較の上の幸不幸は良くないかも知れませんが、こんにちの日本に生まれて、良かった。
少し歳を取り過ぎましたが・・
関水さんの時代です。頑張ってください。

それにしてもいろんな所に行きますね。
 
 
 
→小川先生 (tera)
2009-07-09 11:32:08
ほんとうに今回は、衝撃的でした。そういう時代だったと思うのですが、宗教が間違った精神の昂揚に利用される危惧はいつも含んでいるのですね。

長野の「無言館」、鹿児島の知覧、土浦の予科練記念館、広島・長崎の原爆記念館・・・等。日本中の人に一度は訪れて、平和の願いを強く持っていただきたいと思います
 
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