とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
仏教に運は無い
仏教の話題ではありません。スポーツの話題です。昨日のサッカー、アジアカップ準々決勝は壮絶な試合となりました。
背の高いオーストラリアを相手に、有力選手をうまくマークしながらよく防ぎ、日本らしい中盤を組み立てた優勢の試合のように思いました。後半、ちょっとしたミスから1点を取られましたが、直後に高原選手の見事な個人技で同点。
相手チームはファールが多く、レッドカードによる退場で10名となったにもかかわらずに、日本は攻めきれずに、延長戦に。終始、優位に進めながらもあと一歩が踏めずにPKに。
ここから本題に。
オシム監督は、「PKは運、選手には過酷。とても見ていられない。私がいると負けることが多い」として、退席してしまった。
ほんとうに、PKは運なのでしょうか。
そうでは無いと思います。仏教の縁起の思想は、すべては理由があって、因果の理に適うものであるとされます。確かに、何故?とそのつながりを疑うことも多いのですが、昨夜のPKを見る限り、高度な技能と心理的な駆け引き、体力と気力の組み合わせの勝利であったと思います。(4-3で日本の勝利)
川口選手がはじめに2本のシュートを止めました。私はキーパーの奥深いことはわかりませんが、集中して、選手の動きに体が反応して、超高度な技能で止めたように思え、それは相手選手との心理戦の要素も加わってのしっかりと理由のある成果であったと思います。川口選手に拍手です。
ただ、超マニアックな部分で、予想外の結果となることを「運」とか「偶然」とかと、呼びたくなることはありますね。
私は個人的に、確か10年も前から川口選手のファンで、いくつもの神懸かりな活躍を見てきました。カズもナカタも小野も宮本もいなくなった日本代表をよくぞ支えて頑張っていますね。さらに控えの楢崎にも拍手ですね。出番が少なく希少なホジションですが、高いレベルを維持することって大変でしょうね。
久々にキーパーが注目された一戦でもありました。
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サッカーのPK戦に、因果歴然の事実を見ていくということですね。確かに、あらゆる努力や技術のせめぎ合いということなんでしょうね。
人一倍努力したからこそ結果が残せ、外野はそれを運というのではないのでしょうか。
私の友人の童話作家は謙虚な方で、「世の中に認められたのは、たまたま運が良かったから。」と言いますが、彼女の努力は並の人間に出来る事はないであろうというほど、勉強されています。
努力があるから運が付いて来ると思います。
でも、運・不運は、誰でも案外平等に訪れているのではないかと思っています。だけど、日ごろ努力をしている分野の運には乗れるけど、努力していない分野の運には、乗れないのだと思うのです。
さあ、努力するぞお~!!って思います・・・。何を?!
因果論は難しいところですが、事前には積極的因果歴然観で善行行動の励みとして、事後には消極的に過去にこだわらずに前向きプラス思考をというのが、伝統的な仏教が展開してきた方向性のように感じています。ある思想家の方がこれを仏教のBA型(ビフォアー、アフター)と名付けていますね。
昨夜、準決勝で川口ジャパン負けてしまいましたが、ワールドカップ予選に向けて頑張ってほしいですね。
>hitomiさん
童話作家さんの話、いい話ですね。努力されている人はよくわかっていられるのだと思います。少しの努力で成果がすぐ現れたり、納得のいく努力が報われた達成感や、いくら努力してもすぐに認められないとか・・・。世間が注目することを「運」と捉えてあくまでも謙虚に努力するところに「開運」という現実があるのですね。
>白玉さん
「運も実力のうち」その通りですね。
努力の通りに運も巡ってくるのかも知れません。
先日、参禅会の人で、難関の投句の会に入選された方がいました。聞きましたら、毎月沢山の俳句を根気よく何年も送り続けたのだそうです。それを聞いて、一同納得。
白玉先生、努力の達人ですよ。。。