goo

ネットワーク坐禅会・その5…何があっても可笑しくない・無我

ネットワーク坐禅会・その5

          何があっても可笑しくない・無我

禅は、「真理をそのままに観る実践行」と言えます。真理とは宇宙、この世の真実、今ある現実そのもの。そして、その実態は常に変化し決まった形が無い。逆に言い換えれば、どんなふうにも変わり得る。つまり何があっても可笑しくないのです。その現実に向き合うことをZENと呼ぶともいえるかも知れません。

このような決まった形が実体としては存在せず、こうでなければならないならないという固定した観念も持たない真理を、仏教では「無我」と名付け、「空」や「無性」「無自性」と呼んでいます。そのために、様々なつながりあいの中(縁起)から、思いもしない実態が「生滅」を繰り返すこの世の現実を、「無常」と呼んでもいるのです。

こう整理して考えてみますと、今、深刻なコロナ問題は、仏教の教理が警鐘している現実そのものかも知れません。何があってもおかしくないと考えれば、「想定内」の出来事かも知れません。そのように考えれば、今こそ大きな学びの時かも知れません。人類の英知が問われているのだと思えます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ネットワーク... ネットワーク... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。