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ネット坐禅会・その15・・・坐禅の歴史・日本の禅

インドの仏教が、盛んに高度な教理を追求し、中国の仏教も沢山の経典が翻訳され、達磨大師が禅を伝えた頃、日本に高度な仏教がいきなり伝わり、カルチャーショックのような衝撃とともに、飛鳥、奈良、平安の先人たちは、教理の発達順に関係なく、優れた教理を受容していきました。禅についても平安時代末期からは、すでに広がりをみせていたようです。

延暦寺を開いた最澄は、『法華経』を基盤として、戒律・禅・念仏・密教の融合による四宗兼学の総合仏教として、のちの各宗派の基盤となりました。延暦寺に伝わった禅は「天台止観」と呼ばれ、『法華経』の観心に重きをおいた「止観」を重んじたものでした。「止」とは、心の動揺をとどめて本源の真理に安住すること。また「観」は、不動の心が智慧となり、事物を真理に即して正しく活用すること。つまり、止は禅定に当たり、観は智慧に相当しています。止と観を両輪として重視し、静と動を同等に重視するところに、止観の瞑想法の特徴があります。このような素地が禅の発展の源流になっていた訳です。

 また、真言宗では、阿字観と呼ばれる観法が平安時代頃から行われており、阿字を見る以外は坐禅と同じです。

本格的な坐禅の活動としては、日本達磨宗を独学で開いた能忍がおり、弟子の懐奘禅師(1198年 ~ 1280年)は、のちに同門の懐鑑、義介らとともに道元禅師の門下に入ります。懐奘禅師は、道元禅師のあと永平寺の2祖として、また、義介禅師はのちに永平寺の3祖で瑩山禅師の師となっていますから、達磨宗の存在も大きかったと思います。

一方、中国からの禅宗を初めて日本に広めたのは、栄西(えいさい]禅師(1141年~1215年)で、日本における臨済宗の開祖、建仁寺の開山です。また、喫茶の習慣を日本に広めました。臨済宗の禅風は、祖師方の悟りの境地に学ぶ公案を考え抜く「看話禅」「公案禅」に特徴があります。禅とともに、戒律(天台)、密教(真言)の三宗兼学の性格もありました。現在までに15派に分派しています。

もう一つが曹洞宗です。道元(どうげん)禅師(1200年~1253年)が、中国に渡り如浄禅師から受け継いだ教えを永平寺を基盤にしました。この禅風は、もともと備わっていると思われる仏を実現するために、無目的にただ黙々と坐る(只管打坐)に特色があり、「黙照禅」と呼ばれています。4代目に当たる瑩山(けいざん)禅師(1268年~1325年)が、全国に展開して大きな教団に広めました。

さらに、室町時代後半から江戸時代にかけて、中国から63歳の高齢で日本に新たな禅を伝えたのが隠元(いんげん)禅師(1592年~1673年)で、宇治の萬福寺を本山とする黄檗宗を形成いたしました。インゲン豆を伝えたことでも知られています。この禅風は、中国で行われていた経文の唱え方や、木魚などの鳴らし物による厳密な姿かたちを重んじるもので、日本の従来の宗派に刺激と影響をもたらしました。密教的な神秘性を感じさせます。現在は、臨済宗と黄檗宗は、臨黄教学として共同の研鑽の場を設けています。

この三宗が坐禅の系統の宗派となっていて、日本の禅文化の特色をかたち作っています。

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