とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
小京都越前大野
JR越美北線の途中駅から見た、山並みです。雪がいっぱい斜面を覆っていますが、町にはありません。この日は雨でしたが、越前大野駅前には、除雪した雪がいっぱい積まれていました。
1575年(天正3)、一乗谷への朝倉攻めにて、越前を平定した織田信長は、この大野の地を金森長近に与えました。長近は、大野盆地を見渡せる亀山に新城の築城を開始し、約4年かけて越前大野城を完成させました。そして、現在に到るまでの水の綺麗な街並みが作られていった訳です。 現在、天守閣は雪害のために修復工事中でした。
中心地にある観光案内板
横の通り寺町付近 寺町を流れる清水
碁盤の目のように道が整備され、縦の筋は広く、横の通りは狭く作られています。道の脇には清水が勢い良く流れています。かつて30年ほど前、宝慶寺の修行時代に托鉢でここを通った頃は、すべて両側が流れになっていたように思いますが、現在はほとんど蓋がかぶされていました。
御清水(オショウズ)と呼ばれる観光スポットの一つ
周囲には明峰白山もあり、雪解けの水は地下を通り、湧水となって街を潤します。各所に井戸端があり、生活に欠かせないものとなっていました。街並みは変わっても水の綺麗さは変わりません。
メインストリートの七軒通りでは、観光名所ともなっている朝市が開かれます。この日は雨で、客もまばらでした。
七軒朝市風景
かつて、この通りを托鉢で歩いていた時です。後ろからハアハア追いかけてくるおばあちゃんがいました。「おっさぁ~ん。待っておくんなま~し~~。」と・・・。立ち止まって振り返ると、顔中しわだらけの元気そうなおばあちゃんが、「ああよかった。間に合った。」と言って、握り締めた百円玉を私の応量器にチャリンと入れてくれました。理由を聞きますと、毎朝、一番で売れたお金を一番最初に通るお坊さんに托鉢することにしているのだそうな・・・。この日は、なかなか売れなくて、托鉢が終わってしまうと、気をもんでいたのだそうです。
「財法二施功徳、無量檀波羅蜜、具足円満・・・」
と、おとなえ言を唱えながら、ズシーンと感動の衝撃を覚えたことがあります。このことは、私の布教教化活動の原点の一つとなっているように思います。
そんな心の故郷でもある大野です。
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長々と大切なHPを拝借してしまいましたがお許し下さい。
やはり街並みを歩いていると、そんな重みを感じます。戦国期の歴史に興味ある方には、欠かせない地の一つですね。