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サイト焼き

一月の十五日は小正月と言われます。その所以は、月の満ち欠けで暦を表していた太陰暦時代の元旦にあたるからと言われています。後に太陽暦ができて現在の元旦を大正月と呼ぶのに対しての呼び名というわけです。ですから、前日の十四日は、「十四日年越し」と呼ばれてもう一つの大晦日であったわけです。この日には、病気や災厄を祓う意味の火祭りがいろいろな形で行われてきたようです。その一つが「サイト焼き」。別名セイト焼き、ドンド焼き、ダンゴ焼きとも・・・。
今年は14日が雨でしたので、本日行いました。
当地区当寺院では、冒頭の写真のように米の粉を蒸かして食紅を入れてだんごをつくり、堅い木の枝に挿して、各ほとけさまに飾ります。
 
そして、やや大きめのだんごを竹などに刺して、街角(道祖神のある辻の前など)に近所の人が持ち寄ったお正月のお飾りなどを燃やして、このだんごを焼いて食べるのです。これを食べると風邪をひかないなどと言われてきました。
   
            
また、この火の中に書初めの紙を燃やして、高く燃え上がると、字が上手になるとも言われてきました。この小正月の行事は、各地で様々な形で行われているのでしょうね。
お寺でよくこの時期に行われる「大般若」も、このような厄除け祈願の意味合いがあったようです。
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コメント
 
 
 
ヴァリエーション豊富! (りょう)
2006-01-16 20:35:45
teraさんの地域では、三色なんですね。しかも大小2種類ある。

当寺では、紅白の2色。大きさはピンポン球くらい、全部同じです。近所のお菓子屋さんに注文します。

15日は小正月なんですね。

この日にサイトをする意味が分かりました。

 
 
 
→りょうさん (tera)
2006-01-17 07:06:28
 コメント有難うございます。

 少しずつ風習が違うようですね。お念仏の形式はほとんど一緒ですよ。たぶん同一文化地帯だったのだと思います。現在、地域の民間信仰行事、稲荷講、地神講、庚申講、大山講、富士講・・・などについて調べています。どんどん消滅しかけていますので・・・。



 だんご焼きのことですが、大きなだんごは、街角で焼くためのものですが、このだんご、他の家のものと交換する習わしがあるのです。お互いの連携、絆の表れなのでしょうか、特にお寺のだんごと交換することは好まれています。大きさも色も味も不揃いの三つのだんごを家に持ち帰り、家族みんなで少しずつかじって無病息災を祈るわけです。

 本文の補充を、この場を借りて行わさせていただきました。
 
 
 
こんばんは。 (hitomi)
2006-01-17 19:54:52
最近『小正月』って言葉あまり耳にしなくなって寂しく思っていました。私の田舎では小正月は道具の正月とも言い、14日は道具の歳取りで普段使わせ頂いている道具(特に商売道具)に感謝する日と、子供の頃から教えられました。最近は誰が決めたか15日が祝日でなくなり、伝統が薄れてゆく寂しさを感じています。田舎ではドンド焼きと言い、おもちは米の粉で作り繭玉と言います。色を付けて繭の形にし枝に刺し玄関に飾ります。(魔避けだそうです。)これを15日のドンド焼きに持って行きます。地域でかなり違いがあってびっくりしました。三年前に亡くなった明治生まれの祖父は丁稚奉公に行っていた時、子正月が終わった1月16日と盆の16日の年に二日の休みだったとよく聞かされました。先人達のこういった勤勉さを忘れない為にも、後世に残したい伝統行事と思うのは時代に削ぐわないのでしょうか?長々愚痴っぽくごめんなさい。
 
 
 
→hitomiさん (tera)
2006-01-17 21:26:59
お久しぶりです。心温まる情報をお寄せいただき有難うございます。「小正月」は、お正月が忙しいご商売関係や、分家の方々が集まる本家筋のおうちでは、第二のお正月として、ゆっくりとする日、使用人・お嫁さんたちは里帰りの日(薮入り)とされていたようですね。寺も元旦の頃は忙しいので、この時期はホットする時期でもあります。「道具の歳取り」というのは知りませんでした。大切な心の行事ですね。今、私自身がそのような、後世に伝えて行きたい心の行事について調べているので、とっても嬉しいです。繭玉については、聞いたことがありましたが魔避けとは知りませんでした。貴重な情報を有難うございました。
 
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