神輿堂に飾られた神輿。
5月4日今夜は宵宮。明日の本日はコロナの為、神輿渡御は無い、式典のあとお稚児さんや氏子総代、神事係と共に、神様が町内を廻られる。
私の少年時代の宵宮と言えば、水鉄砲での水のかけあいをしたものだが今は静かなものである。
神輿堂に飾られた神輿。
9日土曜日に桜で有名な長浜市の豊公園に行きました。大勢の人でギッシリ。
コロナ禍なので、酒盛りのグループはないですが、少人数でのお食事グループはかなりありました。
桜の下で、どんちゃん騒ぎが出来るのはいつの日かな。
今日はひな祭り、孫が通う保育園には
立派なひな壇がかざられていた。
保育園で、孫が作ったお内裏様とお雛様は下記のとおりで、かわいい。
上、楽しいひな祭り唄
午後2時 石田〜堀部(八幡神社)〜保多(八重桜)〜垣籠かいごめ(弘法の池~古墳群)〜東上坂〜野村(姉川合戦場)〜北池〜法楽寺〜東野〜小野寺(神社と杉の木)〜法楽寺〜東野〜飯山〜徳山〜岡谷〜追分鍛冶屋〜岡谷〜徳山〜飯山〜北野郷〜野村〜垣籠〜保多〜堀部〜石田〜帰宅
堀部は赤_
穂浪士堀部弥兵衛の先祖の地、小野寺は小野寺幸右衛門の先祖の地である。
穂浪士堀部弥兵衛の先祖の地、小野寺は小野寺幸右衛門の先祖の地である。
先祖は浅井家臣団だったが姉川の合戦で敗れたあと、尾張浅野長吉(後の長政)に召抱えられた。それから120年後の元禄年間松の廊下刃傷事件で、赤穂藩は断絶した。この時浅井家臣団の末孫達は、先祖代々の主君の恩を忘れず、赤穂四十七士のメンバーに加わって、今も忠臣の名を残している。
以上、近江北国街道と脇往還 馬場秋星著から引用しました。
今日は久々のMTBで近場の米原市の醒ヶ井地蔵までランしました。
ロードバイクと異なりMTBはどこでも走れるのが強みだ。
地蔵川には、清流でしか見られない梅花藻がきれいな花を咲かせている。
ただ、梅花藻は今の時期は少しは早い。夏の風物詩である。
1カ所だけ咲いていたので画像に収めた。
ロードバイクと異なりMTBはどこでも走れるのが強みだ。
地蔵川には、清流でしか見られない梅花藻がきれいな花を咲かせている。
ただ、梅花藻は今の時期は少しは早い。夏の風物詩である。
1カ所だけ咲いていたので画像に収めた。
2月19日、越前海岸の越前町にカニを
食べるツアーに行ってきました。
たらふく食べた後は近くの道の駅に
行き、お風呂に入りました。
露天風呂から見る日本海もまた、
最高でした。
滋賀県長浜市にある八幡神社での
節分祭に行ってきました。
最初は鬼を追い出す四つ目の面の
者が東、西、中央を向き、それぞれ
の方向に吠える。
オォー。
次いで、矢を東、西、中央に放つ。
その後は、還暦を迎えた男女が拝殿から豆、お菓子、餅等をまく。
皆んな形相を変えて必死に取り合う。
今年も無事に終わりました。
本日、岐阜県のお千代保稲荷さんに
参拝した。沿道のお店には、正月のお飾りやおせち料理の材料が売っている。
お店の中に、ひときわきらやかな、ドレスが沢山あった。
どれも夢のあるドレスであり思わず
写真におさめた。
長浜曳山祭は、長濱八幡宮の春季大祭にあわせ、毎年4月に多彩な行事が行われます。
16日は子供狂言(歌舞伎)の最終日です。当番曳山の町内で午前9時ごろから数回にわたり、
上演されます。
上演は見られなかったが、曳山を撮りました。上の写真は猩々丸です。
唯一船の形をした曳山である。
下の写真は鳳凰山の後部であり、亭の上に鳳凰の木彫りが置いてある。
16日は子供狂言(歌舞伎)の最終日です。当番曳山の町内で午前9時ごろから数回にわたり、
上演されます。
上演は見られなかったが、曳山を撮りました。上の写真は猩々丸です。
唯一船の形をした曳山である。
下の写真は鳳凰山の後部であり、亭の上に鳳凰の木彫りが置いてある。
滋賀県長浜市で行われる長浜曳山(ひきやま)まつりは日本三大山車(だし)祭りの一つである有名なお祭りで国の無形民族文化財です。 また、ユネスコ無形文化遺産に登録されている歴史あるこのお祭りは、約1週間にわたり開催され、子ども歌舞伎など見所がたくさんあります。
(曳山および子供歌舞伎は14日から16日です)
12基ある曳山のうち毎年4基が出て、子供歌舞伎が演じられる。
上の写真は壽山、下の画像は高砂山であり、本番に備え準備中である。
(曳山および子供歌舞伎は14日から16日です)
12基ある曳山のうち毎年4基が出て、子供歌舞伎が演じられる。
上の写真は壽山、下の画像は高砂山であり、本番に備え準備中である。
長浜市七条町の氏神である「足柄神社」社傳や由緒によれば、相模の国の住民 井関治郎左門尉昌武
が建歴2年(1211年) に当地に居を定め、建長三年(1251年)に足柄山箱根権現を勧請し創建
したのがはじまりであるといわれている。
この時代、七条村は北条氏直轄地で、井関一族はこの地を治めるため、幕府より派遣されて
きたものであろうといわれている。(京都までの中継地のひとつ)
文永年間(1264年~75年)には北条氏の一族である北条盛時が住み社殿などを整備し別当になった
という。
市の指定無形民族文化財である春祭りは江戸時代までは4月8日であったが、明治維新以後は5月8日
に改められ、後に5月5日となった。
この祭りの中で特筆すべきものはジョウトンバ(尉と老)と呼ばれる面姿の者たちであろう。
七条町は室町時代に活躍した能面の面打師近江井関氏の本拠として知られた土地柄で、
春祭りに用いられていた井関の能面二面(市指定有形文化財)が伝えられている。
詳細は長浜市の歴史博物館 所掌「長浜市史をひもといて」を参照ください。
http://www.city.nagahama.shiga.jp/section/rekihaku/shishi/himotoite/vol_02/index.htm