午後2時 石田〜堀部(八幡神社)〜保多(八重桜)〜垣籠かいごめ(弘法の池~古墳群)〜東上坂〜野村(姉川合戦場)〜北池〜法楽寺〜東野〜小野寺(神社と杉の木)〜法楽寺〜東野〜飯山〜徳山〜岡谷〜追分鍛冶屋〜岡谷〜徳山〜飯山〜北野郷〜野村〜垣籠〜保多〜堀部〜石田〜帰宅
堀部は赤_
穂浪士堀部弥兵衛の先祖の地、小野寺は小野寺幸右衛門の先祖の地である。
穂浪士堀部弥兵衛の先祖の地、小野寺は小野寺幸右衛門の先祖の地である。
先祖は浅井家臣団だったが姉川の合戦で敗れたあと、尾張浅野長吉(後の長政)に召抱えられた。それから120年後の元禄年間松の廊下刃傷事件で、赤穂藩は断絶した。この時浅井家臣団の末孫達は、先祖代々の主君の恩を忘れず、赤穂四十七士のメンバーに加わって、今も忠臣の名を残している。
以上、近江北国街道と脇往還 馬場秋星著から引用しました。