日本人初のパリオペラ座バレエ団団員として当時話題になった藤井美帆さん、先頃、定年退職なさいました。
カドリーユ(コールド)という最下位でバレエ団生活を全うされた藤井さん。葛藤はなかったのかしら?とずっと思ってました。
他のバレエ団に移ればソリストとして踊れたかもしれないし、何もオペラ座にこだわらなくても、って思ってたんです。
そんな中、退団にあたってのインタビュー記事をネットで見つけて読んでみた所、やはり葛藤はあったのだそう。
けど、他のバレエ団に移ることも考えていろんなバレエ団を見に行ったものの、やはりオペラ座のスタイルが好きで退団に至らなかったのだそうです。
と言っても終生カドリーユ。
若い後輩達に抜かされるのは面白いわけなかった筈。
本人もそれこそ何回も昇級試験にはチャレンジしたんでしょうけど、なぜか結果が出なかったようで。
パリオペラ座バレエ団には厳格な階級制度があり、
カドリーユ(コールド)→コリフェ(コールドのトップ)→スジェ(ソリスト)→プルミエールダンスーズ(主役級)→エトワール(主役)
となっています。
かつてミテキ・クドーという日仏ハーフのダンサーがいましたけど、この人はスジェまで行きました。
母親がノエラ・ポントワというエトワールで、本人も母親を目指したい所だったでしょうけど、そこには到達できずに、こちらも定年退職に至りました。
現在オニール八菜という日豪ハーフがプルミエールダンスーズまで行ってますが、この人もなかなかエトワールには指名されない。
パリオペラ座、なかなか一筋縄じゃいかない所だというのが判ります。
藤井さんの場合、日本人初のバレエ団員という肩書に縛られ過ぎてしまったのかな、と思いますが、ある時期からコールドに徹し、舞台を作る側に回ろうと割り切ったのかもしれません。
そうでなきゃ定年までいられないですものね。
数々のバレエ団を渡り歩くダンサーが多い中で、入団から定年までいるって大したものだと思います。
確かではありませんが、フランス人のご主人とお子さんがいたような。
プライベートではお幸せだったのは何よりだったと思います。