むすび居合道の刀一会《JMMA会員》

日本武道本質「むすび」を探求している道場。むすび居合を提唱。武術居合道を通じて平和理念を解きます。もしもしむすび協会会員

身体操作は大事

2021-11-28 12:26:37 | 刀法クラス
無双直伝英信流を稽古科目として教室をひらいています。
それとともに
柔術の稽古も
初心者には必要に応じてレッスンもします。
👆多治速比売神社にて(稽古場は神舘です)

ブログでは意識や氣の操作に関することを
書いている割合は多いものの
決して
身体操作を軽んじているわけではありません。

身体操作(刀の操作法や体術)はとても重要です。
理由は書かなくてもわかるほど常識的ですが
敢えていうと、
私たちは物質世界に生きているからです。

その物質をもとに
物体を操って生きる存在が私たちだからです。

肉体自体も刀も空気(風)の流れや温度
水や日光、石塀、橋、コンクリート‥
物質にかこまれて生きています。

身体操作は、自分の手足の動かし方や形、勢いのみだけではなく
手にした武器(刀や杖、その他武器)も
身体の一部として使っている関係上、

稽古の刀は、自分の身の一部として
渾然一体として操作をしています。

当会では
よくムスビや意識(氣)の話をしてレッスンを
すすめていく理由は、
以上を読んでいただければわかると思いますが

身体操作と意識は切り分けられないためです。
それで、
こういう手の動かし方をするのは、
「この意識でやるためですよ」というふうに、

身体と意識を関連付けながらレッスンを行っています。



必要なら新しい流派もつくる-最高の師は宇宙

2021-11-21 22:59:14 | 刀法クラス
私は
7年間、ほぼマンツーマン指導で
居合道を教えていただいていました。
しかし、あることを契機に
自分で「刀一会」という
武道の流派を立ち上げることになり

無双直伝英信流を教えている月謝制の
道場と

「むすび」を教えることを中心にした
護身術ビジターレッスンも
教室としてオープン。

先月はのべですが
そのビジターレッスンに3名の生徒さんが来られました。
今月は現在のところ1名です。

私がビジターのレッスンに力を入れるのは
その昔、私もそういう教室
先生が欲しかったからです。

どうして極意から教えてもらえないのか?
この目の前の先生は
形(型)は教えていただけるものの

武術の本質は教えていただけない
それを聞いたら、
叱られるか、無視される

物事の本質や極意、秘伝をどうして教えてくれないんだろう
それは、
タブーなんだろうか?

答えは、
物事の本質は、わかってみれば
手に入れてみれば
実は「単純」なものなんです。

しかしながら、その
極意にみられる、意識を極める操作というのは
伝えるにも
「意識」という(氣でもいい)ものをきちんと順序だてて
教えない限り非常に難しいものです。

それに多人数を相手に教えることは不可能なことだと
自分の中ではじけ飛んだ時

刀一会では、マンツーマン指導または、数人での
ビジターレッスンにしようと

そのうえ、こちらから生徒さんを囲わないようにしようという
自分の中でルールをきめました、
それを護ってやっています、

つまりこちらから、来てくださいと
営業をかけないのです。
リピータ-として来る生徒さんは
ほっておいても、次回必ずこられますレッスンに。

今の刀一会は
武術の極、「むすび」を探求し続けていますが
これも
次のステージにむけて今データーを蓄積しています。

不可知的にです。
刀はモノです
モノは人間とは違うものだという発想で
やっている限り
刀をいくら武術・武道と思って振っていても
モノのままです。

自分も人間じゃなくモノだと
モノとモノ
これ宇宙の真理、本質です。

宇宙には上位・下位の区別は本来ありません。

地球も北極側からみるというのも人間の都合だからです。
都合はあくまでも人間側の決め事
しかし本質は
その道(武術なら武道として)を歩かないと見えてこないものです。

われわれの世界は
無限。

武道も探求している限りは
無限という世界観に背をむけてはいけない。



刀の魅力.2 

2021-11-21 13:30:49 | 刀法クラス
居合道は、
居合術が生まれ変わったもの

今刀を振っているのは、
殺人のためではなくて
生きるためか

居合術がうまれた頃
殺人が正当化の時代

当然ながら今は、
日本刀を持って街歩きはできません。
刀は殺人の武器だからです。
これは、
「鑑賞用の美術品だよ!」と、主張しても
刀は鑑賞が真の目的ではなく殺傷の道具だから

しかし
令和でも刀を振って稽古しているのは

戦国時代から平和な時代になり
居合術が居合道に
武術が武道へと

殺人技(武器)それはもういいから
殺傷できるのは分かった
そういう技術はここにある

殺せるのはわかったから
「その手前で俺たちは、最後までいかなくてもわかるよな!!」
つまり
「道」になった歴史があります。
だから
現代でもその「道」が稽古されています。
それが個別武道である
居合道、合気道‥

術のころの居合道は
殺人の結果、自分が生きることができ

居合道になった今は
殺さなくても、お互いがわかる(勝ち負けが)

しかし、ここに矛盾があります

実力差がある場合等
負けた方が、自分は負けているという事実がわかりません。
勝ちのほうは、わかる。(俺は相手を斬っていると・・)

実力の低いものは、高見が案外見えないものです。

だから勝った者は
「もう勝ち負けにこだわる必要がなく、君の勝ちだよ」と
そっと離れていく、
そういうことです。

分かってもらえたでしょうか。




刀をふる・・刀一会の教え

2021-11-20 22:05:21 | 刀法クラス
居合刀や真剣、木剣をふるというのは
人間にとっては
異物を持ち、自分以外のモノを扱うということです。

常識としてはそうですが
茶道では
「わび・さび・むすび」という言葉を私は
よく使いますが

刀もこの茶器を扱う「むすび」と全く同じ理屈であるといえます。

・刀は手で振ってはいけない
・手だけで素振りをするんじゃないよ。
という言葉を聞いたことがあるかもしれません。

手じゃないとどこで振るのでしょうか?
答えとしては= 全身です。

つまり統一体
自分の手足と同じように扱うようにということです。

では言葉じゃなくて
それにはどういうふうにしたら可能なのか。
練習に、習得にどれだけかかるのか。

その答えとしては、
一般的な技の習得のような時間は必要ないといえます。
どうしてかというと
意識操作(氣の技)だからです。

意識操作というのは、
ある意識で身体を操作していくことです。

手で振るというのは、
人間としての力の入れ方、使い方をしているにすぎません。

その対極としての刀の振り方は
人間を捨てれば、その動きを手に入れればできます。
人間を捨てるというのは、ちょっと語弊があるので

言い換えると
四足動物としての身体使いをすればいいということです。
簡単ですね。

難しいと思う方は
その道の先生に聞けば教えてくれるはずです。
ヒントをくれるはずです。

その道の先生はどこにいるかというと
むすびを教えてくれるところです。

それが分かったので
私は所属していた居合道連盟をはなれて
刀一会という居合道&護身教室を開いているわけ

ブログで書けるのはここまでです。


☆彡むすびを居合で教えて《その.10》

2021-09-30 22:23:26 | 刀法クラス
写真は、
北アルプスへの玄関口
折立(登山口)から1000メートルを上り
太郎平に到着したときのショットです。

むすびとなんの関係があるのかと疑問
の方もたくさんおられることと思います。
でも、大いに関係があります。

むすびというtechnicには
そのレベルというものがあります。
なんの技術でもそうですが、
低から中、ハイレベルなまで段階があります。

刀一会では、その段階を
階層A、階層B、階層Cの3段階でレッスンをしています。

その理由は、
本質は一つですが、習得するには
そのひとつの本質をバラバラにして学ばないと
頭が追い付かないというのがその第一の理由です。

登山で使える「むすび」。
私の登山スタイルは、
素人でもすいすいとアルプス登山ができることを証明することです。

登山のキモは「脚力」であると100人に聞いても
100人ともそう答えます。

それはそうですが、しかしそれでも
私はむすびテクニックで素人でも登山ができます。
それも筋肉痛を80%以上軽減してということです。

誤解なきようにいいますと、
むすびの技術でも、心肺機能は補うことは無理です。
足の筋力は補完することが100%できるのが
「むすび」なんです。

身をもって私はそれを登山でやってきましたから
お勧めすることができますと、教えることができます。